ポオとボタン

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ポオは、エドガー・アラン・ポオのことですよね。探偵小説の祖といわれているお方。
そしてまたポオは、近代詩の祖でもあります。というよりも、もともとポオは、詩人であった人物。ポオの代表作といって良いのが、『大鴉』。原題は、『ザ・レイヴン』 Th e R a v en 。たいていのアメリカ人にとって『大鴉』は親しい存在なんだそうです。それというのも、『ザ・レイヴン』は教科書にも載っているらしい。

ある嵐もようの夜、それも陰気な真夜中のこと…………………。

ポオの『大鴉』は、そんなふうにはじまる長詩であります。

「言葉に音楽がつくと詩であり、音楽のない言葉は散文にすぎない。」

ポオは、そんなふうに考えていたという。当然、ポオのすべての詩は韻を踏んで、階調が感じられるようになっているんだそうですね。
1875年に、巴里で『大鴉』のフランス語訳が出版されています。フランス語への翻訳は、ステファヌ・マラルメ。ここに絵を添えたのが、マネ。エドゥアール・マネ。
ポオの『大鴉』をマラルメがフランス語にし、そこにマネが絵を。そんな贅沢なことが、1875年にはあったんですねえ。
マネが、1868年に描いた肖像画に、『テオドール・デュレの肖像』があります。今は、パリの「プティ・バレ美術館」所蔵となっています。
1865年。マネはスペイン、マドリードに旅しているのですが。ここで偶然に知り会ったのが、テオドール・デュレ。その頃のデュレは、実業家。後に、美術評論家に。
デュレと、マネは毎日のように「プラド美術館」に通い、ベラスケスの絵の前に立ち尽くしたという。
1868年に、デュレは「ラ・トリビューヌ」紙をも創刊しています。日本を訪れた人物でも。
さて、『テオドール・デュレの肖像』なのですが。デュレは当時の、三揃いを着ています。白いシャツに黒のリボン・タイ。上着は肩前の三つボタン。
シングルの三つボタンの位置は高い。そしてまた「ボタン間」の間隔がことに広い。1868年頃の巴里ではそんな仕立て方もあったのでしょう。
十九世紀から二十世紀にかけてのスーツの変化は、ボタン位置の低下です。そもそもの上着のボタン位置は今よりはるかに高い位置にあったのです。
少なくとも、ハイ・ボタンであるほど古典的だとは言えるでしょう。ちょうどポオの『大鴉』が時代を超えて遺る古典であるように。

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