ティツィアーノは、絵師の名前ですよね。
ティツィアーノは1490年頃、ヴェニス近郊で生まれたと、考えられています。正確な生年月日は定かではありません。
ただ、ティツィアーノがヴェニスで世を去ったのが、1576年8月27日であるのは、間違いないようです。
ざっと八十六年ほどの人生だったことになるでしょうか。
ティツィアーノは今はの際に。
「やっと絵の描き方が解ってきた。」
そんな言葉を遺したという。
そういえば日本の絵師、葛飾北斎も似たような言葉を言い遺こしたそうですが。
ティツィアーノは、ティツィアーノ・ヴェチェッリオがフルネイム。
ピエーヴェ・ディ・カドーレに於いて誕生。
これは当時、静かな山村だったそうですが。
ティツィアーノは幼い頃から画才が認められていて。九歳の頃、兄とともに、ヴェニスに絵の修業に出ています。
ティツィアーノは活躍の期間が長いこともありまして、多くの傑作を遺していること、ご存じの通り。
宗教画はもとより、肖像画、風景画にまで及んでいます。
中でも注目すべきものに、「ヴィーナス像」があります。
ティツィアーノはいろんな機会をとらえて「ヴィーナス像」を描いているのですね。
ひとつの例ではありますが、『ウルビーノのヴィーナス』。
ティツィアーノが1538年に完成させた名画。
現在は、フィレンツェの「ウフィツィ美術館」所蔵となっている一点。
画面の大きさは119センチ×165センチ。ここに右手に薔薇の花を持ったヴィーナスが全裸で横たわっている構図。
今からおよそ五百年ほど前の絵画ということになります。
一説に。当時のグイドバルド二世が、自らの結婚を記念して、1530年頃に注文したのではないか、とも伝えられています。
ここから単純に計算いたしますと。ティツィアーノは『ウルビーノのヴィーナス』に、約八年の歳月をかけていることになるでしょうか。
ここからの想像として、ティツィアーノが完璧主義者であったのも間違いないでしょう。
ヴィーナスの彫刻に『ミロのビーナス』があるのは、申すまでもありません。「ルーヴル美術館」の看板のひとつにもなっていますね。
この『ミロのビーナス』が発見されたのは、1820年のこと。エーゲ海に浮かぶミロス島で発見。その製作は、紀元前二世紀に遡るんだとか。
長い間、ヴィーナスが美の典型とされてきたのは、言うまでもないでしょう。
ティツィアーノが出てくる小説に、『影の歌姫』があります。2015年に、スコットランドの作家、ルシンダ・ライリーが発表した長篇。この中に。
「ところが目の前に現れたきみは、青い瞳にティツィアーノの絵画のようなゴージャスな金髪で、ぼくはすっかり拍子抜けしてしまった」。
これは「アリー」という女性への形容として。
また『影の歌姫』には、こんな描写も出てきます。
「いつも履きなれたデッキシューズとくしゃくしゃの茶色の髪のおかげで、船から降りてきたばかりのように見えた。」
デッキ・シューズはヨットなどの甲板でも滑らない工夫のある靴のこと。
だいたいは素足で履くことが多いものですね。
アッパーはレザーのこともあれば、キャンバスのこともあります。
どなたかティツィアーノの絵を観るためにも履けるデッキ・シューズを作って頂けませんでしょうか。