ディートリッヒは、故き佳き時代の女優ですよね。
ドイツ生まれの、マルレーネ・ディートリッヒ。
ディートリッヒは1901年にベルリンの生まれ。
1992年に、九十歳の天寿を全うしています。まさに、「長生きも藝のうち」というべきでしょう。
ディートリッヒが流行させたものもいくつかあります。
たとえば、細い眉。「世界一の細い眉」。そんなふうにも言いたくなってくるほどの。
そして、もうひとつが、『リリー・マルレーン』の歌。
『リリー・マルレーン』は、1939年に、ドイツでレコーディング。その時にはそれほどの話題にはなっていません。
ところがなぜか戦地の軍人の間で、歌われるようになって。やがて、イギリス兵の間でも流行って。
第二次大戦中、ディートリッヒは進んで、米軍の慰問に。
この時、ディートリッヒが歌ったのが、『リリー・マルレーン』だったのですね。
1970年9月6日。ディートリッヒは日本に。「大阪万博」に出演するために。もちろん舞台で『リリー・マルレーン』を披露しています。
この時、ディートリッヒは日本の担当者に一言。
「ドン・ペニリヨンを用意しておいてね。」
当時の担当者、ドン・ペニリヨンが誰であるのか、分からなくて、ずいぶん苦労したという。
ディートリッヒ、六十八歳のことでありますが。
今から五十年以上前の話ですからね。無理もないでしょう。
1954年に、偶然、ディートリッヒにあった俳優に、
ジョージ・チャキリスがいます。
その時、映画『ホワイト・クリスマス』の撮影中。
主演は、ローズマリー・クルーニー。ローズマリー・クルーニーの友人だったのが、ディートリッヒ。
ディートリッヒはローズマリー・クルーニーを励ますために、撮影現場。
撮影現場では、ジョージ・チャキリスはじめ皆、声かけることも出来なくて。ただ、凍りついていた。
ジョージ・チャキリスの『自伝』にそのように出ています。その頃のディートリッヒ、よほどお美しくあったのでしょうね。
ジョージ・チャキリスといえば、『ウエストサイド物語』。
数え切れないほどの若者ファッションを生んでもいます。
その中のひとつに、黒いレザーのリストバンドが。
もともとは「シャーク団」のひとり、「チリ」を演じる、アンドレ・テイアが、撮影現場に持ち込んで。それがなんとも粋で。
たちまち、仲間の間で、流行になったという。
ブラック・レザーのリストバンド。巻いてはみたいのですがね。
ジョージ・チャキリスのようにはいきません。
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