チェホフは、ロシアの文豪ですよね。本職は、医者。
医者と作家とを両立させたお方でもあります。
そしてまた、小説をも書き、戯曲をも書いた人物でも
アントン・チェホフは、1860年1月17日に、南ロシアの、タガンローグに生まれています。お父さんのパーヴェルは雑貨店の店主だったそうです。
1879年には、「モスクワ大学」の医学部に入り、医学の勉強を。と、同時に創作をもはじめています。
チェホフの戯曲に、『かもめ』があります。1896年10月17日。ペテルブルクの、
「アレクサンドリンスキイ劇場」で初演。この時には必ずしも成功とはいえなかったようです。
1898年12月17日に再演されて、大好評となっています。
今の日本でも、『かもめ』は、大切な古典劇となっているのは、いうまでもないでしょう。
チェホフの演劇に、『熊』があります。
『熊』は、1888年の発表。初演は、10月下旬、「コルシェ座」に於いて。『熊』は、喜劇。
このチェホフの『熊』がお好きだったのが、井伏鱒二。
「………奇想天外の着想はチェホフの題材をつかむ間合の広さを語つてゐる。」
井伏鱒二は、昭和二十九年『文藝』十月号に、『チェホフの「熊」について』と題して、そのように書いています。
井伏鱒二を師匠と仰いだのが、同じく作家の、三浦哲郎。
「………材質は柾目の桐、緒は先生のお好みだったのか濃紺でいくらか細身、外側は塩瀬織に似た絹布で、内側は肌にやさしいビロードになっている。」
三浦哲郎著『師・井伏鱒二の思い出』に、そのように書いています。
文中、「先生」とあるのが、井伏鱒二。井伏鱒二から下駄を頂いた話なのです。
三浦哲郎が平成七年に発表した短篇に、『チロリアン・ハット』があります。
「………これは悪くないと思われるものを一つだけ見付けた。鶯色のチロリアン・ハットである。」
これは物語の主人公である「彼」が、チロリアン・ハットをもらう場面。
ある洋服店の支配人から。この支配人の弟が、帽子蒐集家で。風に飛ばされた帽子を追っているうちに、交通事故に遭って。そんな設定になっています。「どれか帽子をひとつもらってくれませんか?」。物語はそんなふうに進んでゆくのです。
物語の最後は。「帽子にはそれをかぶっていた人の想いが籠められている」というところで、終っているのですが。
その通りでしょうね。
どなたか想いが籠められる極上のチロリアン・ハットを作って頂けませんでしょうか。