日記は、ダイアリイのことですよね。人様の日記を読ませて頂くのは、愉しいものであります。自分では日記をつけないくせに。
日記。もちろん昔のお方の日記。たとえば、夏目漱石にも、「ロンドン留学日記』があります。永井荷風にも、『断腸亭日乗』があるように。
作家の日記を読むことは、その人物の心の一端を覗くことに似ているでしょう。また、それぞれの時代の匂いを嗅いだ気持にもなれます。
日記はなにも作家とは限りません。喜劇役者の日記もあるでしょう。たとえば、『古川ロッパ昭和日記』だとか。
『古川ロッパ昭和日記』は、昭和九年一月一日からはじまっています。そして、昭和三十五年十二月二十五日まで、ほぼ毎日のように。
古川ロッパは、昭和三十六年一月十六日に、世を去っていますから。ほとんど死の直前まで、日記を書いていたのでしょう。
日記とは別に。古川ロッパは昭和十五年頃に「いろはガルタ」を作っています。
いつも初舞台の気持
ろんより稽古
はねて太鼓を聞いて帰る
にほん語の勉強
ほんよみが肝心
べからずを知れ
とちりは一代の恥
こんなふうに続くのですが、耳が痛いことです。
「はね太鼓を聞いて帰る」。これは自分の出番が終ったら帰るのではなくて。芝居がすべて幕を降ろしてから、帰りましょう。という自戒の言葉なのでしょう。
「サントリ七年。牛鍋、チーズやハムで馳走。」
『古川ロッパ昭和日記』の、昭和二十年一月十二(金曜日)のところに、そのように書いています。これは友人との夕食の席で。
「おかず一皿(数の子十片ほど、大根の煮たの一切、野菜の煮たのすこし)お新香(かぶ、とその葉、これは普通のお新香よりすこし量がある)メシの丼。」
高見 順の『敗戦日記』の一節に、そのように出ています。昭和二十年一月十日のところに。
これは「外食券食堂」での献立として。その頃、銀座にあった「半田屋」という食堂でのこと。
また、高見 順は同じ日の日記に、ご自分の服装にも絵入りで書いています。
ジャンパーにズボンで、頭にはニット・キャップをかぶっているのです。それ以前はいつでも着流しだったけれど、最近はこんな恰好になった、と。
ニット・キャップは、温かいものです。どなたか昭和二十年の、高見 順ふうのニット・キャップを編んで頂けませんでしょうか。