マドリッドとマント

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マドリッドは、スペインの街ですよね。マドリッドはピカソが愛した街でもあります。
昭和二十七年にマドリッドを旅したお方に、式場隆三郎がいます。式場壮吉の叔父さんと言った方が分かりやすいでしょうか。
式場隆三郎はまた、ゴッホの研究家でもありました。式場隆三郎には、紀行文『マドリッドの夜』があります。

「………裸体のマハの美しさには感心した。今まで無数の複製をみたが、オリジナルは実にいいものだ。」

「プラド美術館」でのゴヤの絵について、そのように書いています。
式場隆三郎はマドリッドでは、「ホテル・ナシオナール」に泊まったとも書いているのですが。

ゴヤといえば、スペイン。スペインといえば、ゴヤでしょう。フランシスコ・デ・ゴヤは、1746年6月30日に、アラゴン地方のフェンデトードスに生まれています。
1753年には一家で、サラゴーサに移り、成人してからは多くマドリッドに住んでいるのです。
1810年にゴヤが描いた絵に、『ニコラ・ギュイ将軍の肖像』があります。正装軍服での肖像画。この絵を眺めておりますと、後の時代の大礼服の原型を観る想いがするほどです。

「次の郵便で君にガウンを送るようにする。」

ゴヤは親友のサパテールに宛てて、そのような手紙を書いています。1785年1月22日の日付で。マドリッドから投函。
マルティン・サパテールは、ゴヤの幼友達。サパテールがゴヤに、マドリッドでガウンを買って送って欲しいとの依頼があったものと思われます。
ゴヤの一生で、もっとも多くの手紙のやり取りをしたのは、サパテールだったようですね。

「………大きな丸い白い帽子をかぶり、夏には紫のマントを羽織る男たちとおしゃべりをした。」

リオン・フォイヒとヴァンガー著『宮廷画家ゴヤ』に、そのような一節が出てきます。
これは、マドリッド、サンルーカルの居酒屋での様子としてゴヤは自宅からラバで行ったという。居酒屋ではもちろん、シェリーを飲んだそうですが。
どなたか紫のマントを仕立てて頂けませんでしょうか。「ゴヤ」と名づけて大切にいたしますから。

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