太陽王は、フランスのルイ十四世のことですよね。「朕は国家なり」とおっしゃったお方。事実、フランスがもっとも栄誉栄華を誇った時代に王であったのは、間違いないでしょう。
太陽王の最後の恋は、マントノン夫人だと考えられています。
1683年10月10日。ルイ十四とマントノン夫人は、秘密結婚をしています。王妃のマリイ・テレーズが7月31日に、世を去った後のこと。ヴェルサイユ宮殿の礼拝堂に於いて。
ヴォルテールは『ルイ十四世の世紀』と題する膨大な書物を遺しています。この中に。
「マントゥノン夫人がついていれば、それこそ恐いものなし、パリの大司教はもう何もいえぬし、ギュイヨン夫人は解放される。」
そのように書いています。当時のマントノン夫人の権勢ぶりが窺えるでしょう。
マントノン夫人の本名は、フランソワーズ・ドービニエ。フランソワーズ・ドーニエは高貴な家柄に生まれたにも関わらず、幼い頃から数奇な運命に弄ばれた人生を送っています。それこそ波瀾万丈そのものでありました。
「私は一六三五年十一月二十六日もしくは二十七日に、ポワトゥー地方ニオールの監獄で生まれました。」
フランソワーズ・シャンデルナゴール著『無冠の王妃 マントノン夫人』に、そのように出ています。
フランソワーズ・シャンデルナゴールの『無冠の王妃 マントノン夫人』は、著者がマントノン夫人に成り代わって、一人称で書かれた伝記なのです。
1652年4月4日。フランソワーズ・ドービニエは、作家のポオル・スカロンと結婚。十六歳の時であります。スカロンは身体に障害があったものの、最高の知識人でありました。フランソワーズはスカロンの身体を支え、スカロンからは高度な教養を与えられています。
1660年10月7日、ポオル・スカロン死去。フランソワーズ、二十四歳でありました。
この頃からフランソワーズは養育係として身を立てることに。
1669年頃、モンテスパン夫人と識り合う。モンテスパン夫人はルイ十四世の寵愛を受けたお方。ルイ十四世とモンテスパン夫人との間に子供が生まれたので、極秘のうちに、フランソワーズが養育することに。
「一人の狩猟服の貴人が、暗がりで顔つきがよくわからないが、いきなり、案内もなしにこの部屋に入ってきた。」
『無冠の王妃 マントノン夫人』に、そのような一節が出てきます。
1670年頃のこと。この「狩猟服の貴人」こそ、ルイ十四世だったのですが。この時依頼、ルイ十四世は、マントノン夫人の教養に魅せられたとのことです。
1686年、ルイ十四は重大な手術を受けています。この時、たったひとり、看護を許されたのが、マントノン夫人だったのです。
マントノン夫人は美貌もさることながら、その知性もまた一級品だったのでしょう。
………乗馬靴をはき、拍車をつけ、乗馬鞭をにぎって国家の一大事を処理するルイ十四世か何かのように………
フランスの作家、ヴィクトル・ユゴーが、1829年に発表した詩集『東方詩集』に、そのような一節が出てきます。
ユゴーが、1830年に発表した戯曲が、『エルナニ』なのです。この『エルナニ』の序文にこんな文章があります。
「赤い踵の靴も、赤帽子も存在しない。」
これは貴族も民衆のない、との意味です。
「赤い踵」は、十八世紀フランスの宮廷靴。貴族に限って赤い踵の靴を履く習慣があったのです。
赤い踵。「タロン・ド・ルージュ」talon de rouge 。
どなたかタロン・ド・ルージュの靴を作って頂けませんでしょうか。