不二アイスは、昭和のはじめに銀座にあった洋食屋ですよね。人によっては「富士アイス」とも。正しくは「富士アイスクリーム」だったそうですが。
不二アイスと聞くと、カフェを想像するのですが、実は洋食のレストランだったそうです。
銀座五丁目の「海上ビルの地下にあったレストラン。
「………美味しい一品洋食を売りものにして、まだ丸ビルにキヤツスルのなかつた頃に、出来たのですが、一時の人氣と云つたら素晴らしいものでした。」
昭和八年に、白木正光が書いた『大東京うまいもの食べある記』に、そのように出ています。
「富士アイスクリーム」の献立は、ハンバーグステーキ、50銭。チキンコキール、60銭。牛肉のロース、60銭。伊勢海老のマヨネーズ、1円。いずれの献立にもパンがついていたとのことです。ただし当時の「1円」はかなり高額だったらしいのですが。
「………家を出て尾張町不二あいす店にはんす。」
永井荷風の『断腸亭日乗』に、そのような一節が出ています。昭和十一年九月二十日(日曜日)のところに。
永井荷風はここでは、「不二あいす」と書いているのですが。
「燈刻銀座尾張町四辻にて歌川安藤の二氏に会ひ共に不二氷店に入りて晩飯を喫す。」
昭和十二年四月六日の『断腸亭日乗』にも、そのように書いてあります。
この頃の永井荷風はほとんど毎日のように「不二アイス」に顔を出していたようですね。
永井荷風の『断腸亭日乗』には、こんな記述も出てきます。
「晴。冬の洋服にては暑をおぼゆるほどなり。」
昭和十六年四月二十日のところにそのように書いています。
この時の永井荷風は、冬服を着ていたのでしょう。
どなたかメルトンの冬服を仕立てて頂けませんでしょうか。