ライト兄弟とライト・ブルウ

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone

ライト兄弟は、飛行機の先駆者ですよね。ウイルバー・ライトと、オーヴィル・ライトのふたりなので、ライト兄弟。ウイルバー・ライトは、1867年4月16日に、アメリカのインディアナ州に生まれています。
弟のオーヴィル・ライトは、1871年8月19日に、オハイオ州に於いて誕生。つまり、四歳の歳の差があったわけですね。でも、ふたりはまるで双子の兄弟のようだったそうです。あまりにも考えることが似ているので。
瞳の色も同じくブルウ・グレイ。ふたり並んで見ると、オーヴィルの方がややライトなブルウ・グレイだったらしい。
隣の部屋で話していると、それがウイルバーなのか、オーヴィルなのか、見当さえつかなかったほどなんだとか。
まったく別の場所でウイルバーが歌を歌っているとして。違う所でオーヴィルが同じ曲を口ずさんでいたりすることもあったという。

アメリカ陸軍がはじめてライト兄弟の飛行機を買ったのは、1909年のこと。価格は、25000ドル。それとは別にボーナスとして、5000ドル。それというのも、陸軍が求めていた速度を四キロも上回っていたから。
もっとも当時の「飛行機」がグライダーにエンジンをつけたような枠組だけの物体だったのですが。

「投じた労働に対する一番の配当はいつも変わらず、これまで以上に実力がつくよりも、さらに深く知りたいと思うなることでもたらされた。」

1906年3月12日の「メモ」に、ライト兄弟はそのように書いています。

飛行機を偏愛した作家に、稲垣足穂がいます。稲垣足穂は、昭和三十年に、『ライト兄弟に始まる』を書いているほどに。稲垣足穂の『ライト兄弟に始まる』を読んでいると、こんな一節が出てきます。

「毛の裏のサティンの飛行服の下に、わたしは二組のコンビネーションをつけていました。」

これは「ハリエット・クインビー」の言葉として。ハリエット・クインビーは女性としてははじめて、英仏海峡を飛行機で飛んだ人物。とにかく遮るものは何ひとつないので、寒いんですね。

稲垣足穂は昭和四十三年に、珍しく時代物を書いています。『山ン本五郎左衛門只今退散仕る』がそれです。この中に。

「………はなはだ人品良く、花色の帷子に浅葱の裃を着け………」

「花色」。これは今の言葉なら、ライト・ブルウのことです。きれいな空の色。
どなたかライト・ブルウのスーツを仕立てて頂けませんでしょうか。

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone