小林清親は、日本の絵師ですよね。清親と書いて「きよちか」と訓みます。明治の浮世絵師。そうも言えるかも知れません。
小林清親が明治のはじめに描いた作品に、『海運橋』があります。雪の日の、当時の第一銀行を描いた傑作です。
描のほぼ中央に、傘を差した女の後姿が描かれています。その傘には、「銀座」、「岸田」、「V」の三つの文字が読めます。これはその頃有名だった、銀座の岸田吟香の店だと考えられています。「V」はロオマ数字の五なのでしょうか。
岸田吟香が、画家の岸田劉生の実家だったのは、言うまでもないでしょう。
小林清親が明治十三年に描いた絵に、『大森朝乃海』があります。女ふたりが、ベカ舟で海苔を採っている風景です。女の姿が海面にくっきり映っています。海がきれいだったのでしょう。
浅草海苔は今も有名ですが。明治初年の浅草海苔はほとんど大森辺りの海で採れていたんだそうですねー
明治元年頃、小林清親も静岡で漁師をしていましたから、海の水の冷たさはよく知っていたでしょう。
明治七年、東京に。この時、横浜の絵師、ワーグマンについて洋画を習ったと伝えられています。
小林清親と親交のあったのが、フランス人の、ビゴー。
Bi got と書いて「ビゴー」と訓みます。明治のはじめに日本に来た、ジョルジュ・ビゴーのことです。
ジョルジュ・ビゴーは、1882年1月26日に、横濱に着いています。同じ年の4月7日には、横濱の写真館で、侍になって写真を写しています。
ビゴーは明治はじめの日本のあるがままの姿を克明に描いています。
ビゴーが1904年に描いた『日本の正月元旦』があります。ここには、挨拶まわりに出かける高級官僚の姿が描かれているのです。そこにはビコルヌをかぶり、大礼服に身を固めた紳士の姿が。
大礼服は英語では、「コート・ドレス」court dress 。もともとは宮廷服だったのですね。
どなたか現代版のコート・ドレスを仕立てて頂けませんでしょうか。