カニは、クラブのことですよね。clab と書いて「クラブ」と訓みます。漢字なら、蟹でしょうか。
カニの身は美味しいものですね。寒ければ寒いほど味が良くなる、そんな印象があります。
たとえば、越前がに。その昔、越前には「かに藝者」がいたんだそうですが。きれいなお姉さんがきれいな着物を着て、横に侍ってくれて。運ばれてきたカニを丁寧に解してくれるあとはもう旦はんが口に運べば良いだけ。そんな贅沢な時代があったんだそうです。
「盆の上には、やわらかなオレンジ色にレモン・グリーンのにじんだ小型の蟹が、きれいに並んで湯気を上げていた。」
1984年に、城山三郎が発表した短篇『イースト・リバーの蟹』に、そのような一節が出てきます。イースト・リバーにも蟹が獲れるのでしょう。とにかく蟹の種類にもゴマンとあるそうですから。
詩人の田村隆一の随筆に、『越前ガニを食いに行く』があります。この中に、老藝術家の話が出てくるのですが。その老藝術家は、ヨオロッパで三十年間、うまいものを食いつくしたお方だと、田村隆一は説明しています。老藝術家は、田村隆一に言った。
「越前ガニに匹敵するするものはついになかった。」
うーん、そんなものなんでしょうか。
ある日、ある日、田村隆一に電話がかかってきて。
「越前ガニを食べに生きませんか?」
田村隆一が諸手を挙げて賛成したこと言うまでもないでしょう。
「Kさんもぼくも、たべて、たべて、たべまくった。」
田村隆一は、そのように書いてあります。ここでの「Kさん」は、越前ガニに誘って下さったおかた。
酒は、「越の磯」だったとも。越前ガニを食べて、食べて。最後の大鍋の蟹雑炊も平らげてしまった、と。
そして、次の夜もまた、越前ガニ。今度は蟹料理専門店の「川喜」で。お供の酒は、「寿喜娘」だったそうですが。
開高 健にも、『越前ガニ』の随筆があります。昭和四十七年の発表。
「雄のカニは足を食べるが雌のほうは甲羅の中身を食べる、それはさながら海の宝石箱である。」
開高 健はそんなふうに書いているのですが。この時の越前ガニのお相手は誰だったのか。水上 勉。
水上 勉が開高 健に、越前の昔話を。それを聞きながらの越前ガニ。これまた、贅沢の極みというものでしょう。
北海道の知床で、蟹を食べた作家に、立松和平がいます。立松和平の『知床丸太小屋日記』に出ている話なのですが。
「テーブルの上に新聞紙を敷き詰め、タラバガニ毛ガニの山とをつくる。手を伸ばし掴んだカニの脚を折り、殻を割って、汁をちゅうちゅうと啜る。」
立松和平はきっと豪快に食べたかったのでしょう。
立松和平は旅の途中、知床が気に入って。そこにログハウスを建てたほどですから。知床の味を食すにも情熱の傾け方が違っていたのでしょうね。
立松和平はログハウスで、何を食べるのか。友人が来た時などは、バーベキュー。知床の海の幸山の幸を、バーベキューで。その最後に、「チャンチャン焼」を。チャンチャン焼は、もと漁師の料理。獲れたばかりの鮭一尾、鉄板で焼いて食べる。チャンチャンと焼くから、チャンチャン焼なのでしょうか。
立松和平もまた、旅を愛した作家で。旅から、旅へ。北は北海道から、南は沖縄まで。およそ足を踏み入れたことのない場所がないくらい。
「六十度の花酒は、マッチを近づけると、ぽっと炎が立つ。酒精が高いので、器にいれると酒の面に泡が立つ。」
立松和平は与那国特産の「花酒」について、そのように書いてあります。
立松和平著『沖縄奄美を歩く』に、出てくる文章なのですが。
立松和平はまた、石垣島には、「川平」という地名があることにも触れています。川平には、「川平織」のあることも。
川平織の特徴は、生の蚕から絹糸を引出すことにあるようですね。生であるために、糸にいっそうの艶が出るんだとか。
川平には、「糸満」(いとま)さんというお方がいらして、この人が、生の蚕から絹糸をひいてくださる。それで織ったのが、「川平織」。
どなたか川平織の上着を仕立てて頂けませんでしょうか。