キイは、鍵のことですよね。錠があって、鍵がある。鍵で、錠をおろす。鍵と錠は、一組のものです。
また、音域のことも同じく「キイ」と言います。「キイが高い」とか、「キイが低い」とか。
おしゃれ語にもキイはあります。「キイホール・ネックライン」だとか。頸元のカットが、キイホール型になっているものですね。
英国の「ロンドン搭」にも、もちろん鍵があります。鍵があるからには、鍵を掛けることもあるわけです。そこで、「鍵の儀式」があるんだとか。
毎晩、十二時になるとロンドン搭に錠をおろす。これは「ヨーメン」(衛士長)の重要な役目。ヨーメンが鍵を掛けに行くと。セントリイ(歩哨)が声をかける。「そこを行くのは、誰か?
」これに対するヨーメンの答えは、「ザ・キイ」。歩哨は再び問う。「誰のキイか?
」再び、答える。「キングのキイだ。」と、歩哨は、「神がキングに加護をたまわんことを。」これに対してヨーメンが、「アーメン」と言う。これにて儀式は終わるんだそうですね。
キイはまた、人の名前にもあります。たとえば、アメリカの作家、フィッツジェラルドだとか。
フィッツジェラルドは、1896年9月24日に、ミネソタ州、セント・ポールに生まれています。この時の名前が、フランシス・スコット・キイ・フィッツジェラルドだったのですね。
1913年には、フィッツジェラルドは、プリンストン大学に入学。そのフィッツジェラルドが小説を書くようになったのが、1919年頃のことなんだとか。
1920年には、『楽園のこちら側』を発表しています。スクリブナー社から。美人のゼルダと結婚したのもこの年のこと。
フィッツジェラルドの代表作と言って良い『ザ・グレイト・ギャッツビー』の出たのが、1925年のこと。たちまち人気作家となるわけです。
1925年、フィッツジェラルドは巴里で、ヘミングウェイと友達に。フィッツジェラルドは1924年頃から、まだ無名のヘミングウェイに注目していたらしい。ヘミングウェイは、1899年の生まれですから、フィッツジェラルドの三歳下ということになります。
1925年のはじめ、フィッツジェラルドはゼルダとともに巴里へ。エトワール広場に近い、ティルシット街十四番地のアパルトマンに。
フィッツジェラルドはそこから巴里の左岸を歩く。ヘミングウェイを探すために。フィッツジェラルドの好みは、右岸。でも、フィッツジェラルドが居そうなのは左岸なので。
それでとうとうある日、ヘミングウェイを見つけるわけですね。とあるバアで。
この時のフィッツジェラルドはブルックス・ブラザーズ製のスーツに、ボタンダウン・カラアのシャツ、クラブ・タイを結んでいたという。
フィッツジェラルドの服装については、『スコット、アーネスト、そして誰でもいい誰か』に詳しく出ています。筆者は、『エスクワイア』の創刊編集長だった、アーノルド・ギングリッチ。日本語訳は、村上春樹。
「ダーク・ブラウンのサドルがついた白靴は英国軍人のベルトみたいにみっちりと磨きこまれている。」
また、こうも書いてあります。
「洋服屋のショーウインドウを眺めているみたいに」。
もちろん、フィッツジェラルドの服装について。ギングリッチは若い頃、洋服雑誌の編集者でありましたから、目は確かだったでしょう。
服装の話が出てくる『日記』に、『サミュエル・ピープスの日記』があります。
「早起き。銀ボタンつきの黒のキャメロット織の服をおろす。」
1660年7月13日の『日記』に、そのように出ています。
私はここから勝手に、「キャムレット」camlot を想起してしまいました。
キャムレットは、型押し模様の絹地。今のモアレにも似た生地。
どなたか中世のキャムレットを再現して頂けませんでしょうか。