クリーシとグログラン

クリーシは、ロシアでの粥のことなんだそうですね。黍を原料にした粥を、「クリーシ」。
粥は消化に良いという印象があります。イタリアのリゾットなども粥の一種ではないでしょうか。
広い意味での粥は、たぶん世界中にあるに違いありません。
たとえば日本にも、七草粥があります。毎年の一月七日には七草粥を食べる習慣が遺っていますね。
日頃の疲れた胃腸、身体を労うためのものでしょう。

「十五日は、七種の御粥・宮内省の御薪。」

十四世紀の古書『太平記』に、そのような一節が出ています。この時代の粥は、米、粟、黍、ひえなどの七種類の穀物を一度に炊き込んだので、「七種の粥」と言ったんだそうですね。
それが後の時代に、芹、薺などの薬草へと変化したものなのでしょう。いずれにしても七草粥の歴史の古いことが窺えます。

「處が今夜だ ー 御飯は済んだと云ふ、御粥を食べたんだとさ。」

泉 鏡花が、大正三年に発表した小説『日本橋』に、そのような会話が出てきます。
これは座敷での客の言葉として。その客の言葉を受けて、女が言う。

「御養生でおいで遊ばすのね。」

明治末期にも粥は身体を休めるものと、考えられていたのでしょう。

「五位は五六年前から芋粥と云ふものに、異常な執着を持つてゐる。芋粥と山の芋を中に切込んで、それを甘葛の汁で煮た、粥の事を云ふのである。当時はこれが無上の佳味として、上は万乗の君の食膳にさへ、上せられた。」

芥川龍之介が大正五年に書いた短篇『芋粥』に、そのような一節が出ています。
芥川龍之介は同じ年に『鼻』を発表。これが夏目漱石に褒められて、それで『芋粥』に取りかかったと、伝えられています。
余談ですが、この時の芥川龍之介の原稿料、一枚につき四十銭だったという。今の四千円くらいでしょうか。

粥が出てくる小説に、『ミールゴロド』があります。ゴーゴリーが1835年に発表した物語。因みに「ミールゴロド」は、ロシアの地名。ゴーゴリーはこの地に生まれ育っています。

「わたしには、このカーシャはどうも」と、アファナシイ・イワノヴィッチは、たいていこんなことを言っていたものだ。

十二時の昼食の席で、あらかじめ、イワノヴィッチは、ベーコンを添えたコールジクか、けし粒入りのピロシキをすすめられているのですが。「コールジク」は、揚げ煎餅のこと。結局、イワノヴィッチはカーシャにバターと茸のソースを加えて食べるのですが。
ここでの「カーシャ」は、ひき割り麦を原料にした粥のことなんだそうですが。
ひと口に粥と言っても、いろんな種類があるんでしょうね。
また、『ミールゴロド』を読んでおりますと、こんな描写も出てきます。

「アファナシイ・イワノヴィッチは背が高く、いつでも呉絽の表をつけた羊皮の外套を着て、背をまるめ、話をするにしても、ただ人の話を聞いているにしても、ほとんど笑顔を見せていた。」

ここでの「呉絽」は、「グログラン」gros grain のことです。
絹の緻密な、横畝地。帽子のハット・バンドにも用いられることが多い絹地。
このグログランから出た言葉に、「グロッギー」があります。昔、英国海軍での酔っぱらいの様子。
当時、リチャード・ヴァーノンという提督がいて。水割りラムを飲むようにすすめたところ、余計に飲むようになったので。
リチャード・ヴァーノンのあだ名が、「オールド・グロッグ」。いつもグログランの外套を羽織っていたところから。
どなたかグログランの外套を仕立てて頂けませんでしょうか。