ブランデーとプルネラ

ブランデーは、食後酒に最適ですよね。いや、必ずしも食後酒に限ったわけではありませんが。いつ飲んでも、美味しい。元気の出る酒ですね。とにかく、ケエキ作りの隠し味にも使われるほどですから。
もし、少し乾いてきたカステラがあったなら、上からブランデーを滴らせて。また別のブランデー・カステラになってくれます。
フランスには、ブランデーの会社がたくさんあります。そのひとつに、「クルボアジュ」が。1809年の創業というのですから、古い。1810年頃、この「クルボアジュ」を訪れたのが、ナポレオン・ボナパルト。以来、クルボアジュのブランデーを贔屓にしたという。ことに戦争中の兵士に飲ませたんだそうですね。
その後、ナポレオン・ボナパルトがセント・ヘレナに流されるのは、ご存じの通り。この時にもクルボアジュのブランデーの樽がお供したという。
ナポレオンはイギリスの将校にもブランデーを振る舞って。彼らは言った。「これはナポレオンのブランデーだ」。ここからブランデーへの「ナポレオン」の称号がはじまったんだとか。

「九蔵は給仕人を呼んで西班牙人に「ブランデー」を出させ、」

明治二十四年に、作家の末廣鐵腸が発表した小説『南海の大波瀾』に、そのような一節が出てきます。小説にあらわれる「ブランデー」としては、わりあい早い例かも知れません。

「これは上等のブランデーです。自分で上等も無いものですが、先日上京した時銀座の亀屋へ行つて最上のものを呉れろと内證で三本買て来て此処へ匿して置いたものです。」

明治三十五年に、國木田獨歩が発表した『運命論者』に、そのような会話が出てきます。

「飯二碗半、汁二椀、刺肉喰ひつくす。ブランデー一口を飲む。」

正岡子規は、明治三十三年十月十五日の記録に、そのように書いてあります。明治三十三年頃の正岡子規は、食後にブランデーを召しあがる習慣があったものと思われます。
ブランデーが出てくる小説に、『財産家』があります。英国の作家、ジョン・ゴールズワジーが、1906年に発表した物語。

「ブランデーが配られた。色は淡く、年代ものだった。」

これはフォーサイト家での夕食での様子として。また、『財産家』にはこんな描写も出てきます。

「外の馬車で待っている母親のいいつけで、プルネラ織の布地の色を合わせるのに急いでいたのだ。」

「プルネラ」prunella
は、英国の古い生地。絹と毛の、丈夫な綾織地。その昔、イギリスのヨークシャーで織られたという。十八世紀に、大流行。『OED』によりますと、1656年頃から用いられている言葉なんだそうですね。
どなたかプルネラを復活させて頂けませんでしょうか。