ギニーは、昔の英国の通貨のことですよね。もともとはギニー金貨だったので、十七世紀にはそれが通貨の単位としても「ギニー」として使われたものです。
guinea と書いて「ギニー」と訓みます。
アフリカ西海岸のギニア産の金から鋳造されたので、その名前があります。
ギニー金貨は直径約25ミリ。重さにして約8、5グラムであったという。
1663年にはじめて鋳造。これはアフリカ貿易のためだったと伝えられています。最初、20シリングに相当したとのことです。1717年以降は、1ギニー、21シリングに固定されることになったとのことです。
現在でのギニーは趣味としての収集以外には、通用されることがありません。ただし馬の売買については、伝統的に「ギニー」の単位が用いられることがあるのですが。
ギニーが出てくる随筆に、『三ギニー』があります。英国の作家、ヴァージニア・ウルフが1938年に発表した論文。ヴァージニア・ウルフ五十六歳の時の著作。
「とにかく、コレッジ再建のために、私は一ギニーをあなたに送りましょう。ただし、あなたがそのお金を戦争を防止する助けとなるような種類の社会、そのような人びとをつくるために使って、私を満足させてくれるならば、という条件がつきますが。」
ヴァージニア・ウルフの『三ギニー』は、書簡体の論文になっています。
ここでヴァージニア・ウルフが強調していることは、戦争反対。そしてもうひとつが、女性の地位向上。
ギニーが出てくる日記に、『サミュエル・ピープス日記』があります。
「彼の話では、ギニー金貨はわたしがついこの問ニ000枚買ったとき、両替料に一八ペンス半しかかからなかったが、今ではニニペンスかかる。だけど値のいかんを問わず、出ものはごく少ないそうである。しかしもう少し買おう。」
1666年10月29日の『日記』に、そのように書いてあります。ここに出てくる「彼」とは、両替商の「ストーク」という人物なのですが。ストークの店ではギニー金貨を売ったり買ったりができたものと思われます。
サミュエル・ピープスは1666年8月13日にも、ストークの店でギニー金貨を買っています。これはあくまでも想像ですが。1666年はまだギニー金貨が発行されて間もない頃で、将来の値上がりを見越してのことだったのではないでしょうか。
サミュエル・ピープスの日記を読んでおりますと、こんな記述も出てきます。
「そこでわたしのコート用にビロードと、マント用にらくだ織を買った。」
1666年1月8日の『日記』に、そのように出ています。
「そこで」とは、バタノスター・ロウにあった生地屋「ベネット」のことなのですが。
「らくだ織」。これはたぶん「キャメルズ・ヘア」camels hair のことかと思われます。
「キャメルズ・ヘア」の言い方は、1325年の頃から用いられているそうですから、古い。
キャメルズ・ヘアはふつうウールよりも毛が長く、絹に似た光沢を持っている繊維。
どなたかキャメルズ・ヘアの外套を仕立てて頂けませんでしょうか。