冬は、四季のひとつですよね。
春夏秋冬という時の「冬」のこと。
「冬至」という言葉があります。一日でいちばん、昼が短い日のことを。冬はまた、「とう」とも訓むわけですね。
冬は『萬葉集』にも出てきますから、古い言葉なのでしょう。古代には、「布由」の字を宛てたそうですが。
日本の春夏秋冬は、それぞれに美しい。それは「歳時記」ひとつ開いてみても分かることでしょう。
「熱海、伊東、修善寺、長岡が、伊豆の四大温泉と呼ばれているが、私に行きたいところを選ばせるなら、熱海と、湯ヶ島と、土肥だ。」
川端康成昭和五年に書いた随筆『冬の温泉』に、そのように出ています。
川端康成には温泉が似合う。温泉の専門家と言っても良いでしょう。
『伊豆の踊子』にしても、『雪國』にしても、温泉が背景になっています。
川端康成は温泉を物語に組み込むだけでなく、温泉で多くの小説をも書いていますから。
たとえば、『伊豆の踊子』は、湯ヶ野の「福田屋」がモデルになっているのです。
川端康成は湯ヶ野では、「湯本館」が常宿だったという。
大正十一年、川端康成、二十三歳の時、湯ヶ島に行っています。まだ学生の時代に。この時に書いたのが、『湯ヶ島での思ひ出』なのですが。
また、大正十一年に「湯ヶ島本館」で出会ったのが、松原秀子。後の川端夫人であります。
川端康成が昭和六年に発表した短篇に『落葉』がありまして。康成、三十一歳の時。この年の十二月二日に、松原秀子との婚姻届を出しているのですが。
「彼女がまだ踊の稽古に通つてゐた頃、秋の舞踏會で「落葉の踊」を踊つたことがあつた。やはり宮城道雄の曲であつた。」
『落葉』には、そんな一節が出てきます。これは宮城道雄の『落葉の踊』にふれての内容になっています。
川端康成は宮城道雄の曲がお好きだったらしい。
「宮城道雄は日比谷の公會堂でも聴いたことがあるが、演奏がすむと、うつむき加減に黑紋附の肩を狭くして静かな微笑をする、その盲人の姿が浮かんで来た。」
川端康成は『冬の曲』という短篇の中に、そのように書いてあります。
宮城道雄は明治二十七年四月七日、神戸に生まれています。
川端康成は明治三十二年六月十四日、大阪に於いて誕生。川端康成の方が、宮城道雄よりも五歳の年少だったわけですね。
「この茶倉と云うのは、毎年、新茶の出る頃になると、茶ほうじと云う女工さんが大勢来て、茶をほうじるのである。」
宮城道雄は随筆集『春の海』に、そのように書いてあります。これは神戸での少年時代の想い出として。宮城道雄のお父さんは、外人居留地で、大きな茶商だったので。
宮城道雄は昭和十年に、初の随筆集『雨の念仏』を出しています。これは好評で、何度も版を重ねています。
宮城道雄に、随筆を書くように薦めたのが、作家の内田百間。
内田百間は大正八年頃から、宮城道雄について琴の弟子になっています。
一方、内田百間は宮城道雄の文章の先生にもなっているのですね。
もう一度、川端康成の話に戻りますと。すでにふれたように、明治三十二年のお生まれ。これを西暦で申しますと、1899年になります。
1899年6月7日、アイルランドに生まれたのが、エリザベス・ボウエン。
エリザベス・ボウエンは、川端康成よりも七日はやく誕生しているのですが。
エリザベス・ボウエンが、1929年に発表した小説に、『最後の九月』があります。この中に。
「ジェラルドはロイスの両肩のことを思った、丸みを帯びた四角い肩、そして濡れたフリーズのコートのあの手触り。」
そんな文章が出てきます。
「フリーズ」frieze は、生地の名前。ごく厚く、ごく緻密な、表面に毳のある生地。日本でいう「玉羅紗」にも似ています。
1418年頃からの英語なんだそうですから、古い。そもそもはアイルランドで織られた生地だと考えられています。
どなたかフリーズの外套を仕立てて頂けませんでしょうか。