スタインベックとスリッカー

スタインベックは、人の名前にもありますよね。たとえば、ジョン・スタインベックだとか。
ジョン・スタインベックはアメリカの作家。
Stinbeck と書いて「スタインベック」と訓みます。
1955年の映画『エデンの東』はご覧になったことがおありでしょう。ジェイムズ・ディーンの主役。
あの『エデンの東』は1952年に、スタインベックが小説として発表したものなのですね。
ジョン・スタインベックは1902年2月27日、アメリカのカリフォルニアに生まれています。お父さんの名前もまた、ジョン。お母さんの名前は、オリーヴだったと伝えられています。
お父さんのジョンは製粉所の経営者だったという。生まれたのは、カリフォルニア、モントレー郡、サリーナス。
スタインベックは何度もサリーナスを背景にした物語を書いているのも当然でしょう。
1906年、スタインベック四歳の時、お父さんから、シェットランド種の子馬を与えられています。
後にスタインベックは『赤い仔馬』の短篇を仕上げているのは、その時の想い出なんですね。名前は、「ジル」だったそうですが。
『赤い仔馬』もまた、1949年に映画化されています。
スタインベックの代表作は、『怒りのぶどう』でしょうか。1939年の発表。『怒りのぶどう』はこれまでにざっと、千五百万部売れたとのことです。
1962年にはスタインベック、「ノーベル賞」をも受けています。

「私はもうすぐ近くまできていたので、ベーコンをいためるにおいや、パンをやくにおいなど、この上もなくあたたかくて、この上なくよろこばしい、あのなつかしい匂いがただよってくるのを嗅ぐことができた。」

1936年にスタインベックが発表した短篇『朝めし』に、そのような一節がが出てきます。
これは一人称の小説。主人公は「私」。たまたま棉摘みの労働者のテントに出会う場面。そこで「朝めし」をごちそうになる物語になっているのです。

「肉汁を入れた鉢や、コーヒー・ポットをならべ、それから自分も箱のそばにすわりこんだ。」

そんな文章も出てきます。どのような人たちと一緒に「朝めし」を食べのか。

「二人とも新しいてんじく木綿のズボンをはき、真鍮のボタンが光っている新しいてんじく木綿の上着を着ていた。」

私はこれをおそらくデニムの上下ではなかったかと、想像しているのですが。

スタインベックが出てくる伝記に、『アーサー・ミラー自伝』があります。

「それまでスタインベックに会ったことはなかったが、アーニイ・パイルと同じように、すぐ顔を赤らめるのにびっくりした。」

アーサー・ミラーがはじめてスタインベックに会った時の印象をそのように語っています。
これは1940年頃の話として。場所はニュウヨークのレストラン「21クラブ」で。
また、『アーサー・ミラー自伝』には、こんな文章も出てきます。

「私はトランクから茶色のスリッカーを引っぱりだし、ラルフに席をゆずった。」

これは旅の途中で、野宿する場面。
「スリッカー」slicker は、アメリカ英語。生地の上にゴムを張った防水外套のこと。
「スリック」には、「ピカピカしたもの」の意味がありますので。
イギリス英語の「マッキントッシュ」mackintosh
にも似ています。ただマッキントッシュの場合は、生地の裏にゴムを張ってあるのですが。所変われば品変わるの一例でもaるのでしょうか。
どなたか現代的なスリッカーを作って頂けませんでしょうか。