ビリヤードは、玉突きのことですよね。玉を突いて遊ぶゲームなので、玉突き。昔は「撞玉」(どうきゅう)とも言ったんだそうです。
緑色のラシャを張ったビリヤード台の上で白い玉を撞く。名人の手にかかりますと、玉が生きているように動くのですから、不思議でなりません。
ビリヤードの玉は、「キュウ」cue で撞く。細長い棒のことですね。この「キュウ」には、「行列」とか、「お下げ髪」の意味もあるんだとか。
キュウは、上下の二つに分けられるように作られていて。取手側の太い部分を、「バット」。先端に近い細い部分を「シャフト」と呼ぶんだそうです。
このシャフトのさらに細いところを、「フェルール」。フェルールはたいてい象牙で出来ています。
このフェルールの先端が、「タップ」。つまり直接に、玉に当たる部分のこと。
ビリヤードの達人になりますと、このタップの細かい調整になにかと心を配るんだそうですね。
「何處てツて、此間ガンブリヌスの玉突場で君と三「ゲーム」やツて僕が勝つたじやないか」
明治二十五年に、内田魯庵が翻訳した『罪と罰』に、そのような一節が出てきます。
内田魯庵は、「玉突場」と書いて、「ビリヤード」のルビを添えているのですが。
玉突場。明治のはじめには、すでに伝えられていたそうですね。内田魯庵がビリヤードを楽しんだかどうかまでは知りませんが。
「市内で殖へるのは洋服の縫裁店と公債証書の買請人と玉突屋に身代限りだ」
明治九年「郵便報知新聞」七月六日付の記事に、そのように出ています。
一時はビリヤードが流行ったものと思われます。
「宿は鎌倉でも辺鄙な方角あつた。玉突だのアイスクリームだのといふハイカラなものには長い畷一つ越さなければ手が届かのかつた。」
夏目漱石が、大正三年に発表した小説『心』に、そのような文章が出てきます。
明治の末期には鎌倉にも、ビリヤード場があったのでしょうね。
ヘルマン・ヘッセが、1906に発表した短篇に『ビリヤードの話』があります。
「彼のキューは逸品だった。太めだが軽く、わずか二六0グラムで、三色のアメリカ産の木で造られていた。握りには溝があり、彫金の装飾がほどこされ、黒地に白の、組合せ文字の象嵌があった。O・A・Lの文字を巧みに重ね合わせたもので、」
これはオスカー・アントン・レゲルというビリヤードの名人の愛用しているキュウについての説明として。
オスカー・レゲルは、店に来る誰とも勝負をした。必ず大きくハンデを与えて。いくらハンデを与えても常にレゲールが勝った。それでいてゲーム代はきっかり半分を払った。そんな内容になっています。
ビリヤードが出てくる小説に、『ラッフルズ・ホーの奇跡』があります。英国の作家、コナン・ドイルが1891年に発表した物語。
「彼がそう言うと同時に床板の中央部分が持ち上って、実に美しい鼈甲張りのビリヤード台が然るべき位置にせり上ってきた。」
これは特別な仕掛のあるビリヤード台について。コナン・ドイルもまた、ビリヤードの趣味を持っていたのでしょうか。
また、『ラッフルズ・ホーの奇跡』を読んでおりますと、こんな描写も出てきます。
「男はパイプをくわえ、帽子で覆ってマッチを点けようと苦心していた。粗末なピージャケットをまとい、顔と両手には煙と煤の痕があった。」
「ピー・ジャケット」pea Jacket は、1725年頃からの英語。オランダ語の「ピー・イエッケル」pij jakker
から、英語になったもの「ピー」と呼ばれる極厚のウール地で仕立てられていたので、「ピー・ジャケット」となったものです。
どなたか十九世紀のピー・ジャケットを仕立てて頂けませんでしょうか。