オルガンとオーデコロン

オルガンは、風琴のことですよね。

明治の時代の日本では、「風琴」と言ったんだそうです。

風が奏でる琴の音と、考えていたのでしょう。

昭和三年に、河井酔名が発表した詩に、『塔影』があります。この中に。

母が奏でる風琴の 響きかすかに

そんな一節が出てきます。ここでの「風琴」が今のオルガンであるのは、言うまでもありません。

さらに「手風琴」となりますと、今日のアコーディオンのことです。

そもそものオルガンは紀元前250年頃、エジプトのアレキサンドリアではじまったと、考えられています。

アレキサンドリアの技師、クテシビオスが考案したとのこと。

ただしそれは「水オルガン」だったという。水の力で、空気をパイプに送り込む方式。

これが後に、空気式オルガンに変化するのですが。こちらの方が持ち運びに便利だったので。

古代ロオマの時代にはすでに、空気式オルガンがあったそうですね。

日本でオルガンが普及しはじめるのは、やはり明治に入ってからのことでしょう。

明治二十年七月十五日に、「浜松尋常小学校」のオルガンが壊れた。それは「メーソン&ハムリン」のベビーオルガンで、当時45円もしたとのこと。

このオルガンを修理したのが、山羽寅楠(やまば・とらくす)。後の山葉寅楠であります。

その頃の山羽寅楠は、医療機械の修理を専門にしていたそうですね。

山羽寅楠は、オルガンを修理してみて。「これなら私にも出来るかも知れない」。そう考えて。

山羽寅楠の協力者だったのが、河合喜三郎。河合喜三郎はその頃、簪などを作る職人だったという。

山羽寅楠が、河合喜三郎と二人で、国産オルガンを完成させたのは、明治二十年八月二十三日のことだったと、伝えられています。

その第一号の商標は、「鳳章」。五十八の鍵盤があって、五十円だったとのこと。

その時代の浜松には運河があって、船にオルガンを積んで、各地に配送したと、伝えられています。

明治二十五年には、英国に向けて78台の国産オルガンが輸出されたそうですね。

オルガンが出てくる小説に、『カサマシマ公爵夫人』があります。1885年に、ヘンリー・ジェイムズが発表した長篇。

「オルガンの音楽に合わせて子供たちがダンスをしていて、」

また、『カサマシマ公爵夫人』には、こんな描写も出てきます。

「もとオーデコロンのはいっていた、だがいまは芳醇な黄金色の液体が半パイントほど入っている小さな壜を取り出したのだった。」

この中にはブランデーが入っている設定になっているのですが。

オーデコロンの空瓶をブランデーのデカンターに使っているのでしょう。

オーデコロンは十八世紀の、ドイツ、ケルンではじまっています。

万能消毒液として。当時のオーデコロンは、消毒のために、浴びるほど使ったものです。

どなたか消毒液としても使えるオーデコロンを作って頂けませんでしょうか。