ホロヴィッツは、天才ピアニストのことですよね。
ピアニストはたいてい天才なのでしょうが。でも、それでもなお「天才」と言い添えたくなってしまうお方です。
ウラディミール・ホロヴィッツは、1903年10月1日に、ウクライナのキエフに生まれています。
ホロヴィッツが世を去ったのは、1989年11月5日のこと。八十六歳でありました。
ピアニストは長生きするを、証明した人物でもあるでしょうか。
ホロヴィッツがピアノをはじめたのは、六歳の時。これはお母さんが手ほどきをしたとのことです。
「彼の「展覧会の絵」をきいた人は、ピアニストは単にピアノで音楽をする人ということではなくて、ピアノにのみ潜んでいる魔性を解放する人だということを、とことん味わったに相違ない。」
吉田秀和は昭和三十九年に発表した『現代の演奏』の中に、そのように書いています。
ここでの「彼」がホロヴィッツを指してのことであるのは、言うまでもないでしょう。
ホロヴィッツが愛用したピアノは、「スタインウエイ」だったという。ことにスタインウエイの「CD75」という品番のものを。それは1912年製造の一台で。
1979年になって、大修理が必要に。ところがこの修理された「CD75」がホロヴィッツのお気に召さなくて。
さて、困った。そこで急遽、古い倉庫を探して、調律。
ホロヴィッツは今度の「CD75」に満足したと伝えられています。
ホロヴィッツは蝶ネクタイの愛好家でもありまして。
音楽家に白の蝶ネクタイは必需品。でも、ホロヴィッツはふだんの背広にも蝶ネクタイを結ぶのがお好きだった。その数、八百本。
リストはスカーフが好きで、約四百枚も持っていた。
でも単純に数だけで申しますと、ホロヴィッツの八百本には、ぐうの音も出ません。
ホロヴィッツが出てくる小説に、『破滅者』があります。ドイツの作家、トーマス・ベルンハルトが、1983年に発表した物語。
「ホロヴィッツの名声は最高を極めていた、この最高の名声に私たちは従ったのだ。」
これはピアノの練習について。
また、『破滅者』にはこんな描写も出てきます。
「だがヨット狂だった当時のこととてあつらえてつくった、もうけっしてきれいとはいえないポロシャツに、」
これは「パウル」という男の服装について。
パウルは戦後まもなくのドイツで、ポロシャツを誂えたとも書いているのですが。
ポロシャツ。ドイツなら「ポロヘムト」polohemd でしょうか。
どなたか注文で白絹のポロヘムトを編んで頂けませんでしょうか。