バイエルとバティスト

バイエルは、教則本のことですよね。「バイエル教則本」。
ピアノをはじめて習うとき、たいていこの「バイエル教則本」をお手本にすることが多いでしょう。
Beyel と書いて「バイエル」と訓みます。
バイエルはドイツの音楽家だったお方。フェルディナント・バイエルが編集したピアノ教則本なので、「バイエル」と呼ばれるわけですね。
バイエルが出てくる小説に、『野菊とバイエル』があるのは、ご存じの通り。1990年に、干刈あがたが発表した物語。ただし物語の時代背景は、昭和二十六年頃に置かれているのですが。昭和二十六年頃の風俗を識る上での恰好の教則本になっています。

「ミツエはバイエルしか知らない、子守りをしているふつうの母親のような人が、バイエルを知っているのは、ミツエにはおどろきだった。」

ここでの「ミツエ」は、物語の主人公。著者の分身だと考えて良いでしょう。
干刈あがたは、筆名。本名は、浅井和枝。昭和十八年に、青梅市に生まれています。昭和二十六年といえば、著者の干刈あがたが八歳頃のことでしょうか。
それはともかく、干刈あがたもまた、「バイエル教則本」でピアノの練習をはじめたのかも知れませんね。
ところが。フェルディナント・バイエルがいったいどんな音楽家だったのか。よく分かってはいないのです。
安田
寛に『バイエルの謎』という本があります。フェルディナント・バイエルの生涯を追った内容ですが、これを読んでも、ベートーヴェンの人生を理解するようなわけでもないのです。バイエルは「謎の音楽家」であるのは、間違いないでしょう。
では、ちょっと角度を変えまして。「バイエル教則本」はいつ、日本にもたらされたのか。明治十三年に。
明治十三年三月に、アメリカの音楽家、メイソンが日本にやって来ます。この時に「バイエル教則本」を携えていたというのです。
メイソンはほとんど独学で音楽家になった人物とのことです。
ルーサー・ホワイティング・メイソンは、1828年3月3日。アメリカのメイン州に生まれています。
このメイソンがピアノを教える時、「バイエル教則本」を使ったので、それ以来、バイエルが有名になったとのこと。「バイエル教則本」にも長い歴史があるんですね。

「バイエルが「ピアノ教則本」著してから、百年以上になりますが、その構成の完全さと実績から、我国では、現在での幼児ピアノ教育の主流となっています。」

宮本良樹編『サブ・バイエル』に、そのように書いてあります。
この『サブ・バイエル』の中には、『メリーさんの羊』、
『ロング ロング アゴー』などの楽譜が収められているのですが。

バイエルが出てくる小説に、『美しい惑いの年』があります。ドイツの作家、ハンス・カロッサが、1941年に発表した物語。

「私はあるとき病気で何日も出席できなかった後の、驚き、また心配でたまらないほどのバイエルの表情を忘れることができない。」

ここでの「バイエル」は、学校の先生なのですが。ドイツでは「バイエル」の姓は珍しくないのかも知れませんね。
『美しい惑いの年』を読んでおりますと、こんな描写が。

「上等のバティスト織りのハンカチ二枚と、金貨が二枚出てきた。」

これは主人公がお姉さんから贈られる場面として。
「バティスト」batiste は、薄く、華麗な麻布。
十三世紀に、フランスのカンブレエで、ジャン・バティストが織りはじめたので、その名前があります。
どなたかバティストのシャツを仕立てて頂けませんでしょうか。