ドストエフスキーとボタン・ダウン

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ドストエフスキーはもちろん、ロシアの作家ですよね。
ドストエフスキーの翻訳で知られている人に、米川正夫が。
米川正夫は、ドストエフスキーの『罪と罰』、『白痴』、『悪霊』、『未成年』、『カラマーゾフの兄弟』……などを訳しています。
そして米川正夫の翻訳に協力したのが、ミハエル・コーガン。ミハエル・コーガンは、1939年に、日本に。この時、約五年間、米川正夫の家に下宿しています。
1944年には、ミハエル・コーガンは中国の天津へ。天津では貿易商を開いています。あらためて日本にやって来るのが、1950年のこと。ミハエル・コーガンはウクライナ、オデッサの生まれ。この時、ミハエルは日本初のウオトカを造ってもいます。
もともとのウオトカは、ポーランドではじまっているんだとか。一方、アメリカでウオトカが造られるのは、1930年代のこと。ルドルフ・クネットというロシア人が造ったという。
1973年に。ウオトカの消費がウイスキーを超えたとのこと。
1973年といえば。ロバート・B・パーカーが、『ゴッドウルフの行方』を発表した年。もちろん、スペンサーが登場するミステリ。そのロバート・B・パーカーが、1997年に出したにが、『悪党』。この中に。

「彼のスーツに優雅なタッセルの付いた黒のコードヴァンのローファーをはいている。盛り上がりのきれいなボタン・ダウン・カラーのオックスフォード・シャツも着ている。」

もちろん、スペンサー自身の着こなし。これはたぶん襟のロール具合を説明しているんでしょう。
さて、ロールの美しいボタン・ダウンを着て。ドストエフスキーの本を探しに行くとしましょうか。

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