ストラディヴァリウスとボウ・タイ

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ストラディヴァリウスは有名ですよね。ヴァイオリンの名機。アントニオ・ストラディヴァリが作ったので、その名前があります。
では、どうしてストラディヴァリが、「ストラディヴァリウス」になるのか。これは当時の習慣に従って、ラテン語の表記が優先されたからなんですね。その時代には、ラテン語のほうが、偉かった。だから、「アントニウス・ストラディヴァリウス クレモノニシス」とラテン語で、刻印されているのです。もち、クレモナの、アントニオ・ストラディヴァリのこと。
アントニオ・ストラディヴァリは、1667年に。ニコロ・アマティのヴァイオリン工房に入っています。で、独立したのが、1680年頃のことと、考えられています。アントニオ・ストラディヴァリが、自分の手ではじめて一挺のヴァイオリンを仕上げたのは、1669年頃。そんな説もあるんだとか。ストラディバリは、1644年頃の生まれですから、二十五歳くらいだったことになります。
1669年に珈琲を飲んだのが、ルイ十四世。これはフランス宮廷を訪れたトルコ大使が、振る舞った珈琲だったそうですね。
ルイ十四世がこの珈琲をお気に召したので、後に珈琲が流行ることになったんだとか。もちろん、それはトルコ式珈琲だったのですが。ターキッシュ・コーヒーとも、トルコ・コーヒーとも。
トルコ・コーヒーの出てくる小説に、『マゾヒストM氏の肖像』が。1970ねんに、倉橋由美子が発表した物語。この中に。

「従妹にコーヒーをもう一杯、今度はトルコ風のコーヒーをすすめて………」

と、あります。また、こんな描写も。

「黒い上衣に蝶ネクタイを締めた紳士が…………」。

これは「M氏」の着こなし。この少し前に、「黒いスーツ」と紹介されています。黒のスーツに、ボウ・タイを結んでいるのでしょうね。

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