報酬とホームスパン

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報酬を頂くのは、うれしいものですね。これほど心はずむものもありません。が、報酬の額ほど伺いにくいものは、ありません。「ところで報酬はいかほど?」と、訊けたものではない。
昔、原稿料を訊かれた人がいます。谷崎潤一郎が、上海で。谷崎潤一郎は、大正7年10月9日に東京を発って、釜山経由で中国を訪れています。
上海の、「神州日報」の記者がやってきて、「日本の原稿料はいくらか?」と、問う。記者はその原稿料の高額に驚いて、記事にしたいう。当時の上海での原稿料は、千字を単位として、日本円の十円くらいだったとか。
谷崎潤一郎が上海で聞いた話に、昔の茶通のことがあります。さる人物、茶に凝りすぎて、身上を潰す。身上を潰したので、家々を回って喜捨を乞う暮らし。ある時、偶然、富豪で、茶通の家に喜捨に。
富豪は同じ趣味の男が来たというので、茶を出した。それを飲んだ元茶通が、「今度は私が淹れてみましょう」。古い袋から、古い茶器を取りだして、淹れた。富豪の茶通、ひと口それを飲んで、元茶通を、終生の友としたという。
谷崎潤一郎著『上海交遊記』に出ている話なんですが。谷崎潤一郎が、昭和三年に発表した小説に、『蓼喰ふ蟲』があります。この中に。

「白つぽいホームスパンの上衣の下に鼠のスウエーターを見せて、同じ鼠のフランネルのパンツを穿いた高夏は…………」。

昔のホームスパンは、草の香りのしたものです。草木染めだったので。手で紡ぎ、手で染め、手で織ったものです。トゥイードよりもっと、野趣豊かな生地のことです。

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