フランスとフランネル

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フランスの第一級の知性といえば、サルトルでしょうね。ジャン=ポール・サルトル。若き日のサルトルは、パリでもいちばん難しい教員試験に一回で受かった、数少ない人なんだそうです。
その後、小説も書き、評論も書き、哲学者としても尊敬された人物。代表作は、『存在と無』でしょうか。
1966年の9月には、日本にも来ています。これは慶應大学と、人文書院とによる招待だったとか。もちろん、シモーヌ・ド・ヴォーヴォワールも一緒に。東京では、ホテル・オークラに滞在しています。朝吹登水子著『パリの男たち』によれば。サルトルは実に、勘が良かった。
ホテル・オークラの部屋にいて。朝吹登水子に、電話が。電話が終わると。サルトルが、朝吹登水子に言う。誰からの、どんな内容の電話だったのか、当ててみせる。それはまるで、シャーロック・ホームズのようであったそうですね。
サルトルはフランス語で日本人と会話する。もちろん、通訳を間にはさんで。通訳がなにかの都合で、言葉をはしょったりすると、すぐに気がついたとか。その部分について、もう一度伝えてもらうように、頼んだりしたという。
サルトルは、神戸でタクシーに乗っていて、タクシーが、事故。その時、助手席に乗っていた案内人がちょっとした怪我を。その時以来、サルトルは案内人を後ろに座らせ、自分が助手席に座ったそうです。
『パリの男たち』の中に。

濃いグレーのチョーク・ストライプのフラノの背広に黒のネクタイを締め、胸ポケットから黒字にうぐいす色の絹地プリントのハンケチをのぞかせていた。」

これは、マルク・ボーアンの着こなし。もちろんディオール店のデザイナーだった時代の話なんですが。グレイのフランネル。それは、神聖にして、永遠の、紳士の服装です。

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