ホリッチャーとボウ

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ホリッチャーという名前の作家がいたんだそうですね。アルトゥール・ホリッチャー。1869年にハンガリーのブタペストに生まれています。
ただ、アルトゥール・ホリッチャーは若い頃から、多く旅をして、旅の中から小説を生んだ作家でもあります。1912年の、『アメリカ 今日と明日』は、ホリッチャーの代表作だと考えられています。
ホリッチャーはまたトーマス・マンとも親交のあった人物。しばしばトーマス・マンの自宅を訪ねてもいます。そんなことから生まれた「伝説」のひとつに。
トーマス・マンの短篇に、『トリスタン』があって。この中に、デートレフ・シュピネルという風変わりな人物が登場。
「このデートレフ・シュピネルのモデルこそ我輩である」と言ったのは、ホリッチャーご本人。それのみならず、こうも書いています。
「私がトーマス・マンの家を出ると、カーテンの陰からオペラグラスで、マンはじっと後姿を観察していたのだった。」
このホリッチャーの「伝説」は広く信じられていて、たいていの「トーマス・マン研究」の書にも出ているほどです。
でも、トーマス・マンの奥さん、カーチャ・マンは、『夫トーマス・マンの思い出』の中で、「ホリッチャー伝説」を否定しています。
否定の根拠は、トーマス・マンにはオペラグラスの必要がなかったのだ、と。トーマス・マンは日ごろから人物観察にたけていて、ちょっと見ただけですぐに小説にすることなど、お茶の子さいさいだった、と。
トーマス・マンの傑作に、『トーニオ・クレーガー』があるのは、ご存じの通り。戦前にはふつう『トニオ・クレーゲル』と訳されていたものですが。この中に。

「ズボンは柔らかなひだを作ってエナメルの靴の上に垂れ、靴には幅広のサテンのリボンがついていた。」

これはフランソワ・クナークというダンス教師の着こなし。
今もフォーマル・シューズにエナメルが使われることがあります。たいていは甲にボウ bowをあしらうことになっています。ただ現在は、グログランが多いようですが。サテンも悪くないですね。
今日のボール・シューズの元祖は、宮廷靴で。甲にリボンを通して、前で結ぶ式もあったのでしょう。その結び目の名残りが、今のボウ bow なのかも知れませんね。

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