春夫と拝絹

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春夫で、作家でといえば、佐藤春夫でしょうね。佐藤春夫は、1892年4月9日のお生まれ。お父さんは、佐藤豊太郎。お母さんは、政代。お父さんは長男が生まれた時、一句詠んだ。

よく笑へ どちらを向いても 春の山

つまり春に生まれたから、「春夫」なのでしょう。
佐藤春夫は弟子で多いことでも知られていた人物です。一説に、「門弟三千人」。いくらなんでも三千人は多いような気がするのですが。たとえば。
稲垣足穂。井伏鱒二。亀井勝一郎。太宰 治。檀 一雄。井上 靖。安岡章太郎。庄野潤三。吉行淳之介。柴田錬三郎…………………。
弟子が多いということは、中には不届者もいたりして。佐藤春夫が持っている書画骨董を密かに頂いて、古道具屋へ。それがまた値打物ばかり。そこで佐藤春夫のひとこと。
「さすがにやつは眼が高い………」。
檀 一雄がある時、佐藤春夫と松本に旅したことが。中秋の名月を観るために。檀 一雄は『姥捨』という随筆にその旅のことを書いています。

「ハンチングの下に、半白の髪を無雑作に散らすがまま………、首に南方のスレンダンか何かを巻きつけて、正しくボナールの繪の中の人物のやうである。」

佐藤春夫は、なかなかの洒落者だったようですね。佐藤春夫が昭和九年に発表した短篇に、『禮裝』があります。この中に。

「 「 はいけんとか何とかいひますね。あんなところがすり切れてしまつてゐるのでしてね」 」

これは物語の主人公が知り合いに、フロック・コートを拝借する場面。
「はいけん」は、拝絹のことでしょう。英語なら、「シルク・フェイシング」。もとは裏地だったところが、表にあらわれているので、「フェイシング」。フェイシングはなにもフロック・コートだけでなく、ディナー・ジャケットにも用いられるものですよね。
シルク・フェイシングのある服を着て、佐藤春夫が気取れるといいのですが………。

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