リヴァプールとリュックサック

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リヴァプールは、美しい町ですよね。美しい町であると同時に、港町。その意味では日本の神戸にも似ているのでしょうか。
十九世紀のリヴァプールは、繊維の町でもありました。たとえば、マンチェスターのコットンはリヴァプールを経て輸出されたのですから。
もちろん異国の文化文明も、リヴァプール経由で齎された事実もあります。異国文化の輸入。これだけをとっても、リヴァプールは英國の中でも特別な地域だったのでしょう。
異国文化の町、リヴァプール。これは「ビートルズ」の誕生とも無縁ではありません。リヴァプールはざっと人口、五十万人の町。町を歩くと、いたる所で「ビートルズ」の面影に出会します。
英国でのビートルズの人気は、リヴァプールの「キャバーン・クラブ」ではじまったといわれています。「キャバーン・クラブ」の場所は変わりましたが、店そのものは、今も健在です。
ブライアン・エピスタインが「キャバーン・クラブ」をはじめて訪れたのは、1961年11月9日のことだったという。
ブライアン・エピスタインは裕福な家の息子で、当時の「キャバーン・クラブ」は、ブライアン・エピスタインが足踏み入れるような場所ではなかったのですが。
ブライアン・エピスタインは噂に聞くビートルズ人気がいったいどんなものか、興味があったのです。ブライアン・エピスタインもまたビートルズの魅力を理解したひとりだった。
その結果、ビートルズとの、マネージメント契約を。もしブライアン・エピスタインがこの日、「キャバーン・クラブ」に行っていなければ、ビートルズの歴史も大きく変わっていたに違いありません。
リヴァプールが出てくる小説に、『アウステルリッツ』があります。2001年に、W・G・ゼーバルトが発表した物語。

「その点ではリヴァプール・ストリートの新駅舎は当時文字通り古びた駅の残骸から姿を現しつつあったのです……………………。」

また、『アウステルリッツ』には、こんな描写も出てきます。

「そのリュックは大学入学の少し前にチャーリング・クロス・ロードの軍用放出品を扱う店で十シリングで買い求めてスウェーデンの軍用品で………………………」。

このリュックサックは、主人公の、「自分の人生でたったひとつ真に頼り得る物だ」とのこと。
リュックサックであろうとなかろうと、「自分の人生でたったひとつ真に頼りになる物」を持っていたいものですね。

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