パッカードとパナマ帽

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パッカードは昔あって今ない自動車メーカーですよね。
1899年に、アメリカの、ジィセフ・ウォード・パッカードがはじめたので、その名前があります。当時、キャデラックと並び称される高級車でありました。
とにかく1915年にV 12気筒エンジンを搭載していたのですから、高級車以外の何者でもありません。
その時代「ソ連」だった頃のスターリンがパッカードが好きで、好きで。その結果、そっくりに作らせてのが、「ジル」だったとも伝えられています。
パッカードはもともと人の名前ですから、自動車とばかりは限らないのです。たとえば、ハリス・パッカード。ハリス・パッカードは、アメリカの美術蒐集家。富豪で、コレクターなのですが、ことに日本美術に関心が高かったところに、特筆すべき点があります。

「光琳の心情や情感の直接的な表現が見られて、その意味では、光琳の本当のものが現されているように思われる。」

ハリス・パッカードは、「日本美術の盲点」と題して、1966年『藝術新潮』3月号に、このように書いています。光琳の「屏風下絵」について。ハリス・パッカードはおそるべきアメリカ人であります。
パッカードが出てくるミステリに、『黒いアリバイ』があります。1942年に、アメリカの作家、コーネル・ウールリッチが発表した物語。

「パッカードの助手席に座ったマニングは、彼女の懇望により…………………。」

もちろんこれは自動車のパッカードなのですが。また、『黒いアリバイ』には、こんな描写も出てきます。

「マニングはかぶっているパナマ帽をいっそうあみだに押しあげながら、彼女をなだめにかかった。」

マニングという男が、パナマ帽をかぶっているのが、お分りでしょう。「あみだ」は、帽子全体を大きく後ろに傾けるやり方。ふつうはあまりしません。ただし、左右どちらかに大きく傾けるのは、洒落者の扱い方となっています。
パナマ帽を粋にかぶって、パッカードの写真集を、探しに行くとしましょうか。

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