スターンとスーツ

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スターンは、人の名前ですよね。名前にもあり、姓にもあるようです。
たとえば、アイザック・スターン。アイザック・スターンは、1920年にポーランドに生まれたヴァイオリニスト。
一時、ニュウヨークの「カーネギー・ホール」が危機に瀕したとき、自ら立ちあがって、回避。ために今日のカーネギー・ホールには「アイザック・スターン」の名前が記されています。
スターンはスターンでも、ロオレンス・スターンとなりますと。十八世紀、英國の文人であります。
ロオレンス・スターンは、1713年11月24日、アイルランドに生まれています。そもそもはお坊さんなんですが。1761年に滑稽小説を発表。それが『紳士 トリストラム・シャンディの生涯と意見』なのです。長篇。かなり大胆な内容でもあります。が、少なくとも十八世紀のイギリス文学を代表する一冊であることは間違いありません。
この『紳士 トリストラム・シャンディの生涯と意見』を読んだおひとりに、吉行淳之介がいます。

「なぜ昔の私がこの作品を知ったかといえば、たしか夏目漱石のエッセイで呼んだのだと思う。
なにしろ翻訳がないので、原書を買って苦労して読んだが、読みこなせたとはいえない。」

吉行淳之介が、1977年『草月』6月号に発表した『紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見』の一節に、そのように出ています。
『紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見』の翻訳が出たのは、昭和四十三年のこと。朱牟田夏雄の訳によって。朱牟田は、「しゅむた」と訓みます。偉大な英文学者。

「今は昔し十八世紀中頃英國に「ローレンス、スターン」といふ坊主住めり、最も坊主らしからざる人物にて、最も坊主らしからぬ小説を著はし、其の小説の御蔭にて、百五十年後の今日に至るまで、文壇の一隅に余命を保ち………………………」。

明治三十年に、漱石が書いた『トリストラム、シャンディ』の書きはじめの文章がこれです。
ただし、署名は「夏目金之助」になっています。
おそらく吉行淳之介が目を通したのは、この論文だったものと思われます。漱石は日本におけるロオレンス・スターンの紹介者であり、少なからぬ影響を与えもしたのでしょう。
ロオレンス・スターン著『紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見』の中に。

「周知のように紫の上衣にチョッキ、さらに紫の半ズボンを着てのこと………………」。

これは、「ベネヴェントーの大司教」の着こなし。
これを素直に読むと、スーツでもあるようにも思われます。一般にファッション史上では、ラウンジ・スーツの登場は1860年頃のこととされているのですが。
まあ、色は同じでも、生地はどうだったのか。いろんな疑問も出てくるではありましょうが。
でも、時と場合によっては「スーツらしき」着こなしも十八世紀にも、あったものと思われます。
とりあえず、スーツらしきものを着て、スターンの本を探しに行くとしましょうか。

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