刀自とトップ・ハット

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone

刀自は、お姉さんのことですよね。刀自と書いて、「とじ」と訓みます。
でも、刀自は今も生きている言葉なんでしょうか。年長の女性に対する尊敬語が、刀自。たとえば、「山田刀自」といえば、山田さんを年上の女としてご尊敬申し上げますの、意味になるわけですね。

「刀自の君の病玉ふもいとことわりなるものを。そも古人は何人にて、何地に住ませ給ふや」。

上田秋成が、1776年に発表した『雨月物語』の一節にも、「刀自」が出てきます。1776年は、安永五年のことです。よく知られているように、『雨月物語』はひと言で言って、怪談集。
この上田秋成の『雨月物語』を映画化したのが、溝口健二。溝口健二の『雨月物語』は、ヴェネツィア国際映画祭、「銀獅子賞」をはじめ多くの賞を得ています。昭和二十八年のことです。
『雨月物語』での主演女優が、京マチ子。なにしろ妖怪の役ですから、容貌が七変化する。観客はこれにも心奪われたという。
京マチ子の変幻は、ひとつのカットごとに、メイクを変えて撮ったのだそうです。
溝口健二は、ヴェネツィアでの授賞式の後、パリへ。パリでは関係者と一緒にルーヴル美術館を訪れています。
溝口健二はゴッホの絵の前に立って、ひと言。
「キミ、藝術は狂わなくてはダメだねえ。」
映画撮影中の溝口健二はまさに、「狂」の人であったという。
溝口健二が次に立ちどまったのが、『モナリザ』の前。溝口健二、『モナリザ』の前で動かない。そのうち溝口健二の身体が痙攣しはじめて。泣く。やがて、号泣。誰ひとり、手をつけることができなかったそうです。
溝口健二が愛した女優が、田中絹代。溝口健二は田中絹代の映画を何本も撮っています。が、溝口健二は田中絹代に、ひと言も心を打ち明けることがなかったという。
刀自が出てくる小説に、『仇魔』があります。1851年に、レ・ファニュが発表した怪奇小説。レ・ファニュは、ジョセフ・シェリダン・レ・ファニュは、1814年に、アイルランドに生まれています。

「ちょうどそのころ、モンタグ嬢という若い婦人が、叔母のL ー 刀自という人の手引きで、ダブリンの社交界へお目見得をしました。」

日本語訳は、平泉呈一。この「刀自」は何度も出てきます。
また、『仇魔』にはこんな描写も。

「そのとたんに、かれは、忘れもしない、あの毛皮の帽子をかぶった子男に、ばったり出っくわしたのです。」

1850年頃の、「毛皮の帽子」とは、何でしょうか。私は勝手にビーヴァー・ハットを想ったものです。
もちろん、「トップ・ハット」 t op h at 。今のシルク・ハット以前には、ビーヴァーの毛皮を貼ったトップ・ハットだったのです。
トップ・ハットをかぶったなら、現代の「刀自」に会えるのでしょうか。

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone