ふらんすとブートニエール

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ふらんすは、フランスのことですよね。フランスをいったいどのように書くのか。むかしの日本人は苦心したようです。
仏蘭西も、そのひとつでしょう。でも、今は仏蘭西はあまり使われないようですが。そして、「ふらんす」もひとつの方法でしょう。
そういえば、『ふらんす』という雑誌がありましたね。フランス語を、フランス文化を学ぶ人の雑誌。実にしゃれた内容の雑誌でありました。むかし、単なる憧れから手にとったことがあります。ペエジを繰るとフランスの匂いがしたものです。
ふらんすを効果的に使った随筆では、『ふらんす物語』が。もちろん、永井荷風の傑作。永井荷風が、明治四十一年に発表した紀行文。紀行文といえば紀行文ですが、それがひとつの藝術になっているのは、さすがというべきでしょう。
明治三十六年。永井荷風、洋行。アメリカへ。荷風、二十四歳の時。荷風のお父さんは、久一郎で、息子を実業に向けようと、アメリカへ。
でも、荷風の本心は、作家。お父さんの意見に従って、アメリカへ。アメリカでは主にフランス語の勉強をしていたそうですね。それから。
「どうもアメリカは肌に合わない………」
と、言いはじめて、リヨンに。リヨンの「横濱正金銀行」の社員として。ここも数ヶ月勤めて、巴里へ行かせてもらった。これはもう荷風の作戦勝ちであったでしょう。
永井荷風は巴里に着いて、大いに学び、大いに遊んでいます。そのことを赤裸々に語ったのが、『ふらんす物語』ですから、面白くないはずがありません。

「束原と云う人を御存じですか。」と覚えず問返す。

これは、荷風が巴里に着いて間もなく、とあるキャバレエで、見知らぬフランス人女性に声かけられる場面。荷風を日本人だと見て、「日本の方ですか?」と、話かけられて。
ここでの「束原」は、荷風の創作。実は、黒田清輝のこと。偶然も偶然、このマダムは以前、黒田清輝と仲良しだった人。黒田清輝の絵のモデルにも、何回も。
彼女の指には、二朱金の指環が。二朱金は江戸期に流通した金貨。金貨とはいいながら、長方形、それを黒田清輝が細工して、指環に仕立てたもの。その黒田清輝から贈られた二朱金指環を、マダムをしている。
永井荷風は、淡々と、述べているのですが。「黒田清輝伝」には、ぜひ入れて欲しい話ですね。
荷風とマダムが話しているところに、花売娘が。で、かふうは花束を、一フラン銀貨を出して、買う。買ってマダムに贈る。と、彼女はその中から一輪抜いて、荷風の襟穴に挿してくれたそうです。
まあ、ブート二エールの理想は、こんなふうでありたいものですが。

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