墨とすためん

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墨は、書道に欠かせない道具ですよね。
墨があって、硯があって、筆があると、書の準備ができるわけです。
もう少し細かく申しますと。水滴に入れた少しの水と、半紙などの紙が要りようですが。
硯にわずかな水をさして、墨で擦る。これを「下す」というんだそうですが。墨が「下りる」までの時間。さあ、十分くらいでしょうか。その間に心が静まってくる。
平安の心になって、美しい書が書けるというものでしょう。
「書禅一致」という言葉があるのかないのか知りませんが、ちょっとそんな感じがあります。

「墨、筆ならびなく選り出でて、例の所どころに、ただならぬ御消息あれば……………………。」

『源氏物語』にも、そのような一節が出てきます。
ここから想像するに。「弘法筆を選ばず」とは申しますが、紫式部は筆を選んだものと思われ。筆を選んだなる、墨や硯も選んだのでありましょう。
いずれにしても、あの浩瀚な『源氏物語』が、紫式部の選ばれた筆によって書かれたことは間違いないでしょうね。
墨といえば硯ですが。硯の話が出てくる小説に、『坊っちゃん』があります。

「これは端渓です、端渓ですと二遍も三遍も端渓がるから、面白半分に端渓た何だいと聞いたら、すぐ講釈を始め出した。」

これは骨董屋が端渓の、大きな硯を売りにくる場面。端渓は、中国、端渓に産する有名な硯のこと。
それはともかく名詞である端渓を、「端渓がる」と形容詞に使ったのは、たぶん漱石が最初ではないでしょうか。

「………暖簾はづし大戸を閉めて、墨黒に貸家札。」

近松門左衛門が、享保三年に発表した『博多小女郎波枕』にも、そんな一節が出てきます。
「貸家あります」の貼札は、戦後間もなくまでよく見られた光景ではありますが。最後のますが、たいてい「〼」になっていたりしたものです。
近松門左衛門の『博多小女郎波枕』は、享保三年十一月二十日の初演だとか。享保三年は、
西暦の1718年のことであります。この中に海賊の服装が出てきます。

「おのおの、さるぜ、羅紗、すためん、かるさい、らんけん、繻子、天鵞絨、下着、上着も渡物。」

当時は密貿易の盛んな時代で、それは「海賊」の仕事だったのですね。ですから身に着けるものはすべて舶来品。舶来品を、「渡物」と呼んだわけです。
この中の「すためん」は、ウールとリネンの交織地だったという。
オランダ語の「スタメント」 st am ent を耳で聴いて、「すためん」と呼ばれるようになったものでしょう。

「………へるさい、くろさい、あるみさい、かるさい、羅あか、ごろふくりん、とろめん、ふらた、すためんと、此外毛織類さまざまあれど……………………。」

延宝六年刊行の、『色道大鑑』にも、「すためん」が出ています。これは当時の洒落者が、遊廓に行くにはどんな服装がよいかを書いた場面なのですが。
どなたか「とろめん」ウールとリネンの交織地を仕上げて頂けませんでしょうか。

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