ブラックとフランネル

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ブラックは、黒のことですよね。
たしかに b l ack は「黒」なんですが、その意味するとこはあまりに広く、多い。もし、
ひとつひとつの「ブラック」を丁寧にひろいあげていけば、ゆうに一巻の書物となるでありましょう。
たとえば、「ブラック・ヴェルヴェット」。ブラック・ヴェルヴェットはカクテルの名前でもあります。黒ビールの上にシャンパンを注ぎますと、「ブラック・ヴェルヴェット」に。
見た目にも美しいし、また飲んでみても、貴婦人の抱擁を想わせるところがあります。
ひとつの例として、ギネスとシャンパンという組合せも。また、シャンパンの代りに、シードルというやり方もあるんだそうです。
この場合、大切なことは、「ハーフ&ハーフ」。黒ビールとシャンパンをきっかけ半分づつ注ぐことになっています。
ブラックはまた人の名前にもあるようですね。明治期に活躍した落語家、快楽亭ブラックだとか。快楽亭ブラックは、日本最初の、外国人噺家だと考えられています。
B l ack で、日本の幕末と大いに関係あるブラックに、ジョン・レディ・ブラックがいます。
ジョン・レディ・ブラックは、1827年1月8日、スコットランドに生まれたいるらしい。
ブラックは万延元年頃にはすでに横濱に着いていたのではないかと思われます。
明治十三年に、ブラックが著した『ヤング・ジャパン』によれば。

「………だが、わずか二十一年前は、それどころではなかった。」。

ブラックは、『ヤング・ジャパン』を、そのように書きはじめています。明治十二年の執筆時に。ここから逆算すると、少なくとも安政五年頃になってしまうのですが。ブラックがいつ日本に来たのか。これは歴史上の謎でもありましょう。
ただ、ひとつ確かなことは、ブラックが幕末のいくつかの「英字新聞」と関わっていることです。
そしてもっと間違いないことは、ブラックが『日新真事誌』の創刊者であったことでしょう。明治六年のこと。『日新真事誌』は、西洋人による初の日本語新聞だったのであります。
では、『日新真事誌』はどのようにして印刷されたのか。

「最初、私は数人の者を常時事務所に雇い入れて、必要な時に、文字を木版に彫らせていた。」

ブラック著『ヤング・ジャパン』には、そのように出ています。
原稿は主にブラックが書いたようですが。それを印刷する時、活字がなかったなら、木版で作った。まあ、優雅と申しますか、佳い時代があったのでしょうね。
このジョン・レディ・ブラックの息子が、快楽亭ブラックだったのであります。

ブラックが出てくるミステリに、『バッキンガムの光芒』があります。2008年に、
ジョー・ウォルトンが発表した物語。

「若いレディはじぇったいに黒なんか着てはいけません」わたしは、ある教師の口真似をしてみたのだが、ベッツィはちょっとしか笑わなかった。

これは物語の女主人公、エルヴィラの科白として。
この少し前に、化粧の話も出てきます。

「蝋燭には蝋燭用のメイク……………………。」

まあ、電気や光と蝋燭の光は違うでしょうからね。この時代背景は、1960年頃に置かれています。
『バッキンガムの光芒』には、こんな場面も。

「えーと、緑色のフランネルのパジャマが見たいんですけど」

これも、エルヴィラの言葉。とある洋品店で。ただしこれは、秘密の合言葉。
「緑色のフランネルのパジャマ」というと、仲間であることが分かり、特別の秘密工作をしてくれる段取りになっているのです。
つまり1960年頃のイギリスでは、「緑色のフランネルのパジャマ」は、暗号に使っても不思議ではなかったことが窺えるでしょう。
「フランネルのパジャマ」。ふつう、コットン・フランネルを思うのですが。ここではもしかすれば、ウール・フランネルだったかも。冬には暖かいでしょうね。
どなたかウール・フランネルのパジャマを仕立てて頂けませんでしょうか。

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