帝国ホテルと手帖

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帝国ホテルは、日本を代表するホテルのひとつですよね。帝国ホテルだけでなく、たいていのホテルは泊まるためにあります。
でも、ひと昔前には、帝国ホテルに住んだお方もいらっしゃるんだそうです。

「戦前派では故安井曽太郎、山田耕筰、藤原義江、正宗白鳥などの諸氏が有名だ。」

大宅壮一著『帝国ホテル』には、そのように出ています。
ここには出ていませんが、岩谷時子も帝国ホテルの住人でありました。また、作家の吉行淳之介もいわゆる「カンヅメ」の折には、帝国ホテルがお好みだったようですね。
ホテルは「住」も大事ですが、「食」も大事。

「石渡さんは同じく調理場の栗田千代吉さん、そして倉庫係の郡司茂さんと三人で、昭和に入って第一陣の留学となって旅立った。」

村上信夫著『帝国ホテル厨房物語』に、そのように出ています。
もちろん、巴里で料理の腕を磨くために。これは当時、帝国ホテルの社長だった、大倉喜七郞の小遣いからすべてが支払われたという。
その後も、昭和四年から毎年のように、「留学生」が巴里に送られたんだそうですね。
この時代に支配人だったのが、犬丸徹三。
犬丸徹三のご子息が、犬丸一郞。
犬丸一郞が、帝国ホテルの副社長になった時。副社長室にふらりと入って来たのが、白州次郎。白州次郎は、犬丸一郞に、こんなふうに言ったらしい。

「人間は地位が上がれば上がるほど「役損」を考えろ」

うーん。「役得」を考える人は少なくないのでしょうが。
白州次郎はそれだけを言うと、風のように消えていたそうですが。

白州次郎愛用の手帖は、「スマイソンズ」であったらしい。いかにも白州次郎らしい好みのあらわれでしょう。
「スマイソンズ」Smythons は、ロンドン、ボンド・ストリートの文房具店。1895年の創業。ここで出している手帖は、知る人ぞ知る逸品。
もっとも白州次郎のメモはほとんど英文だったらしいのですが。
どなたかスマイソンズの手帖が似合いそうなスーツを仕立てて頂けませんでしょうか。

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