関東煮と学生服

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関東煮は、おでんのことですよね。関東でおでんと称するものを、関西では「関東煮」と呼ぶのです。
ただし、関東人にとって「関東煮」の発音は、難しい。「かんとだき」がやや近い。「う」はほとんど発音されないのです。
関東煮の発音が容易ではないように、大阪での昔ながらの関東煮を説明するのも、難しいものがあります。「おでんよりも野趣に富んでいて」。そんなことを言っても、本体のかんとだきにはかすってもいません。

「そんな時に足をやすめる場所は、関東煮がおきまりだった。懐中の都合もあり、カフエは虫が好かないので、自然と大鍋の前に立つて、蛸の足を噛りながら、コップ酒をひつかける事になる。」

大正十五年に、水上瀧太郎が発表した『大阪の宿』に、そんな一節が出てきます。
物語の主人公は、「三田」。転勤で大阪に来てから半年という設定になっているのですが。
「そんな時」とは、会社がひけて、宿に帰るまでの間の時間を指しています。
当時の大阪での関東煮には、高級店は多くなかったでしょう。小遣いで入れる店が、関東煮屋だったのです。今では高級店もあるようですが。

「カントダキ屋も洒落た店になると、このコロの最上品だけをたっぷりの汁でとろとろコトコトと煮たのを、出してくれる。」

開高 健は、随筆集『開口閉口』の中で、そのように書いています。もし、大阪の、本物の、「カントダキ」が知りたいなら、『開口閉口』を読むに限ります。
カントダキの蛸も旨いが、コロも旨い。今、関東でコロを旨く食わせる店は多くはありません。
コロは、ごく簡単に言って、鯨の脂身。鯨の脂身を干して、戻して、カントダキの具に。これは一度食べたら、病みつきになってしまう味。大阪ならではの、最強の味。

「大阪から東京へ引っ越してきたしたがさびしがるものはたくさんあるが、その一つがクジラである。」

開高 健は、『開口閉口』の中で、そのようにも書いています。
今、私が開いている『開口閉口』は、新潮文庫。この新潮文庫の解説を書いているのが、谷沢永一。谷沢永一は、若き日の開高
健について、こんなふうに語っています。

「………それでも当時はまだ詰襟の学生服を着用に及んでいた。」

昭和二十五年、開高 健が、十九歳の時の話として。もちろん、開高 健と、矢沢永一との初対面でもあったのですが。
詰襟の学生服。興味深い上着です。それというのも、今日の背広服の原型は、詰襟だったとの説があるから。
詰襟の上着を、外側に倒した時、今のカラアとラペルとが生まれたのだと。
どなたか背広の前の詰襟の上着を仕立てて頂けませんでしょうか。

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