フェルメールは、今のオランダの画家ですよね。
代表作は『真珠の耳飾りの少女』でしょうか。
1666年頃に描かれたと考えられています。この『真珠の耳飾りの少女』は、1881年に2ギルダー30セントで売買されたことがあるという。
もし現在なら、百五十億円は下らないそうですが。今は「マウリッツハイム美術館」所蔵となっている名画です。
フェルメールは1630年10月30日、デルフト(今日のオランダ)に生まれています。
お父さんの名前は、フォス。お母さんの名前は、バルタザルスだったとのこと。お父さんのフォスは、絹織物師だったという。
その一方でフォスは、宿屋をも営んでいたらしい。
フェルメールが本格的に絵師としての修業をはじめたのは、1647年、十五歳の時だったそうですね。
カタリーナ・ボルネスと結婚したのは、1653年、二十一歳の時だったとか。この頃から「フェルメール」の画号を用いはじめています。
1654年には、『マリアとマルタの家のキリスト』を描いて。たぶんこの絵が「フェルメール」としての最初のものだったと、考えられています。今はエディンバラの「スコットランド・ナショナル・ギャラリー」所蔵となっているのですが。
フェルメールは1666年頃に、『天文学者』を描いています。今はパリの「ルーヴル美術館」に収められている名画。
題名の通り、天文学者が天球儀を眺めている様子。
フェルメールのことでありますから、天球儀の細部まで克明に描かれているのは、言うまでもないでしょう。
この天文学者のモデルは誰なのか。正確なところはよく分かっていません。が、ひとつの想像として、レーウエンフックの可能性が指摘されています。
レーウエンフックはたしかに当時の天文学者であり、偶然、フェルメールと同い年。もちろんデルフトの生まれですから、フェルメールとも親しい仲であったに違いありません。当時のデルフトはそれほど大きな町ではありませんでしたからね。
このアントニー・ファン・レーウエンフックもまた、絹織物師から後に天文学者になった人物。ことにレーウエンフックは自分で顕微鏡を製作した人物としても識られています。
ある時、レーウエンフックはフェルメールに一滴の水を顕微鏡で見せて、フェルメールを驚かせた。そんな話も遺っています。
ところで「天文学者」は何を着ているのか。日本の着物を。まるで部屋着でもあるかのように。
その時代、オランダと日本は交流がありましたから、着物がオランダで着用された可能性は大いにあるでしょう。いや、上流階級での流行にもなったほどに。
フェルメールが出てくる随筆に、『ダリはダリだ』があります。これは生前にダリが発表した随筆を後に一冊に纏めた内容になっているのですが。この中に。
「ファン・デル・メールの絵筆のひとタッチとの関連であり、そしてそれは一種のエレガンスなのである。」
ここでの「ファン・デル・メール」は、フェルメールを指しているのですが。
また『ダリはダリだ』には、こんな文章も出てきます。
「威圧的なコドピースのあの着用者となろう。」
これはピカソについて。
「コッドピース」codpieece は英語式の言い方。
フランス式なら、「ブラゲット」bragete 。中世の男のズボンの前開きのこと。もっと具体的に申しますと、「股袋」。
まだ仕立てが稚拙な時代で、いっそ袋にしたのが、はじまり。
どなたか前開きの美しいパンタロンを仕立てて頂けませんでしょうか。