キャフェで珈琲を一杯飲むのは、愉しいひと時ですよね。「キャフェ」は、珈琲のことであり、またそれを飲む場所のことでもあります。
「キャフェ」ひとつ覚えれば、飲物にも場所にも使えるのですから、重宝でもあります。そしてまた、キャフェは珈琲を飲むだけで、本を読み、手紙を書き、恋人にも会える場所。まこと、便利な所でありましょう。
ところで、「キャフェ」なのか「カフェ」なのか。もともと café なのですから、これを「キャフェ」と訓むのも「カフェ」と訓むのも、感じ方の問題なのでしょう。たとえば。
「私は毎日パリ、サン・ミッシェル通りのゆるやかな坂を上ったり下ったり、キャフェに腰をおろして………………。」
1969年に、開高 健はそのように書いています。『サルトルと≪五月革命≫』という文章の中に。ごらんの通り、「キャフェ」となっています。
サルトルの小説に、『嘔吐』があります。正しくは、サルトルの代表作と申すべきでしょうが。では、この『嘔吐』の中ではどうなっているのか。
「一時半。キャフェ・マブリーに行ってサンドウィッチを食べる。」
もちろん原文は「 café」 で、それを訳者である、白井浩司が「キャフェ」としたのでありましよう。でも、1960年代の日本の空気としては、カフェより「キャフェ」を優先したい気分があったのかも知れませんね。
『嘔吐』を読んでいると。
「例の男はラクダの毛の外套を着ていた。金髪でまだ若く、非常に背が高く、また非常に美男だった。」
これはたぶん、「キャメルズ・ヘア」のコートなのでしょう。以前は、高級な外套にはよくキャメルズ・ヘアが用いられたものです。
もし今もキャメルズ・ヘアのコートがあったなら、キャフェの外の椅子で珈琲を飲むのに、ぴったりだったかも知れませんが。