ジャングルとシャンダイユ

ジャングルは、密林のことですよね。ジャングルにも、密林にもなぜか夢があります。
ほんとうのジャングルには行ったことがありませんが。日本にも密林はあるのでしょう。たとえば、西表島(いりおもてじま)だとか。「イリオモテヤマネコ」の名前を聞いたことはおありでしょう。
密林があるからには、密林ならではの動物や植物が棲んでいるに違いありません。
私のジャングルへの憧れはたぶん、手塚治虫の『ジャングル大帝』にはじまっているのでしょう。戦後間もなくの漫画。

「ことにライオンはジャングルにはけっして住まない草原というものだ」

そんな文章が出てきた記憶があります。手塚治虫の『ジャングル大帝』には、読み耽ったものです。
手塚治虫の少し前には、南 洋一郎がありましたね。少年少女向けの冒険小説。一例ではありますが、『密林の王者』というのもありました。

「作者の南洋一郎も挿絵画家の鈴木御水も名前は知っていたが、雑誌でしか見たことがなかった。」

横尾忠則は、『異界・水先案内人』と題する随筆の中に、そのように書いています。あらためて南 洋一郎の著書を手にした時の喜びとして。
横尾忠則は鈴木御水の絵に惹かれて、挿絵画家を目指すようになったとも書いてあるのですが。

「フィリピン諸島の西南、赤道直下の大島ボルネオの密林で、六ヶ月の間、猛獣狩りをした私は、昨年の春、シンガポールへ引きあげました。」

南 洋一郎の『密林の王者』には、そのような一節が出てきます。
「血湧き肉躍る」はあまりに陳腐な形容ですが、そんな言葉も知らない頃から、夢中になって読んだものです。

「ジャングルを隈なく探しあるいたが何もなく、「獣」もこっそり逃げて姿を消してしまった今になって」

1903年に、ジェイムズ・ジョイスが発表した『密林の獣』に、そのような文章が出てきます。ジェイムズ・ジョイスもまた、ジャングルに憧れを持っていたお一人なのでしょう。
岡本かの子が昭和十四年に発表した小説『河明り』にも、ジャングルが出てきます。

「それから七十哩許り疾走して、全く南洋らしいジャングルや森林の中を行く時、私は娘に訊いた。「いゝですね」

これはマレーシャのジョホールでの話として。また、ジャングルでの朝食の話も出てきます。

「レモンの汁をかけたパパイヤの果肉は、乳の香がやゝ発酵したあかごの頬に触れるやうな匂ひがあつた。」

ジャングルをあるいた日本人に、西江雅之がいます。西江雅之は早稲田大学の先生でもあったお方。また、言語の天才でもありましたが。西江雅之の随筆集『異郷日記』にも、ジャングルでの話が出てきます。

「ジャングルの中を歩き回り、碑をジャングルの少し奥まった所にある海辺でようやく探し出したのは、同行した巡査部長だった。」

これはマヌス島での出来事として

西江雅之の『異郷日記』を読んでおりますと、『移動祝祭日』のことも出てきます。ヘミングウェイの『移動祝祭日』。西江雅之の愛読書は、『移動祝祭日』だった、と。
ヘミングウェイの『移動祝祭日』は、1920年代の巴里での想い出を記した内容。

「私の妻は、寒い所でのピアノの仕事に行き、弾いているときもセーターを十分に重ねて体を暖かくして家へ帰ってバンビーの世話をするわけだ。」

ヘミングウェイは『移動祝祭日』の中で、そのように書いてあります。
「セーター」。寒い冬の巴里では必需品だったでしょう。セーターは、フランスでは、「シャンダイユ」。
chandail でしょうか。
これはもともと、「マルシャン・ダイユ」が短いなって生まれた言葉。昔の巴里のレアールの、野菜売場で働く女将さんが着ていたので。
直訳すれば「ニンニク売り」の意味なのですが。ニンニクもシャンダイユもどちらも身体を温めてくれるものではありますが。
どなたかヘミングウェイが着ていたような極太の毛糸で、シャンダイユを編んで頂けませんでしょうか。