鯨は、大きな魚ですよね。いや、これは間違い。鯨はれっきとした哺乳類ですから。
海に泳いでいるものすべてが魚ではありません。魚偏の漢字がすべて魚ではないように。
おしゃれ語にも鯨はあります。「鯨帯」だとか。表が黒繻子で、裏が白絹になっているような帯のことを、「鯨帯」と呼んだものです。両面で、昼も夜も使えたので、「昼夜帯」とも。
十九世紀以前の貴婦人に欠かせなかったのが、鯨の髭。その時代のコルセットの芯には、たいてい鯨の髭が用いられたものであります。
鯨の髭は細工がしやすく、適度の弾力性もあったので。今のプラスチックの前身は鯨の髭だった。もし、そう言っても大きな誤りではないでしょう。
昔、おでん屋に行きますと、「さえずり」があったものです。「さえずり」は、鯨の舌肉。旨いものでしたね。それから、「コロ」。これは鯨の脂身の部分。
子供の頃、よく食べたのが、「ベーコン」。鯨のベーコン。本物のベーコンを知らないので、それがベーコンだと思っていたのですが。
鯨は日本の古い時代から食べられていたらしい。
「すましにかけをとし候。みそしるにてもしたて候。妻ごぼう、大こん。くきたちなどによし。竹の子、めうがつくり次第。くじらはつくりざつとにえ湯をかけることもあり。」
1643年刊の、『料理物語』にそのように出ています。これは「鯨汁』のつくり方についての説明として。
寛永二年のことですから、古いですね。少なくともその時代から、鯨が汁物の材料になっていたのでしょう。
「鯨のかぶら骨と云うは、鯨の氷頭なり、氷頭と云うは、頭の骨なり。それをかんなににて花がつおの如く削て、酢と醤油をかけ、又吸物などにもするなり。」
1784年刊行の、『貞丈雑記』に、そんな一節が出ています。口に入れて噛むと、ほりほりと音がするとも。一名、「ぼりぼり」とも呼ばれたらしいのですが。
また、「おばいけ」の話も出てきます。
「鯨のおばいけと云うは尾と身との間の肉なり。肥前にては「おばけ」と云う。」
鯨を書いた名作に、『白鯨』があるのは、言うまでもないでしょう。アメリカの作家、ハーマン・メルヴィルが、1910年に発表した長篇。『白鯨』には、当然のように、鯨の食べ方についても章がさかれています。
「記録によると、三世紀昔、ほん鯨の舌はフランスでは最高の珍味として賞美され、非常な高値を呼んだ。」
歴史的にも鯨が美食の対象だったことが窺えるでしょう。
また、こんな鯨の食べ方についても。
「オランダの鯨とりの仲間では、このかすのことを《かりかり》fritters
というが、まことにこんがり、かりかりしているところや臭みまでもが、アムステルダムの女房がつくるドーナツやバタ焼きそっくりさ。」
これは鯨の脂身の料理について。
ハーマン・メルヴィルには、『白いジャケツ』と題する小説もあります。1849年の刊行。この中に。
「僕はたまたまそれまで着ていた《グレゴ》、つまり頭巾つき外套を紛失した。」
ここでの「グレゴ」は、グレゴgrego のことかと思われます。フード付きの短外套。
これはラテン語の「グラエクス」graecus が語源なんだとか。「ギリシア」の意味。その昔、ギリシアの漁師は、そんな外套を着ていたのでしょうか。
どなたかグレゴを再現して頂けませんでしょうか。