シャンパンは、発泡性白ワインのことですよね。スパークリング・ワイン。泡立つワイン。ただ単に、「泡」と呼ぶお方もいらっしゃるようですが。
フランス語なら、「ヴァン・ムスー」でしょうか。シャンパンは、シャンパン・グランで飲むことになっています。シャンパン・グラスに二種あって。クープ型とフルート型。
昔はたいていクープ型で飲んだものですが、今ではフルート型が主流になっています。
以前のクープ型のモデルは、マリイ・アントワネットの乳房だという説があります。昔むかし、ヴェルサイユ宮殿で、女官たちを集めて、乳房コンクール。一等賞になったマリイ・アントワネットの乳房を記念に形に遺しておいた。それが後にシャンパン・グラスの原型になったんだとか。
「その外「ブランデ」「ワイン」や「シャンパン」の」
明治三年に仮名垣魯文が発表した『西洋道中膝栗毛』に、そのような一節が出てきます。たぶん明治に入ってからの小説では、シャンパンのはやい例でしょう。仮名垣魯文が実際にシャンパンを飲んだことがあるかどうか、定かではありませんが。
「しどけなきおそれより 螢ちらつき、女の皮膚にシャンパンのにほひからめば」
明治四十三年に、北原白秋が詠んだ詩『放埒』に、そのように出ています。白秋はたぶん、すでにシャンパンをお飲みになっていたことでしょうね。
「何しろ又とない珍客だ。シャンパンの盃でも献じたいですね。」
永井荷風が、明治四十二年に発表した小説『冷笑』に、そんな科白が出てきます。荷風はもちろんフランスでも、シャンパンに親しんでいたに違いありません。
「誰が三鞭を奢ツたんだ? 」
明治二十五年に、内田魯庵が翻訳した『罪と罰』に、そのような文章が出てきます。もちろん、ドストエフスキー。この内田魯庵のものが、日本での初訳なのですが。
内田魯庵が『罪と罰』の原書を識ったのは、明治二十二年。尾崎紅葉の家で。
ドストエフスキーの『罪と罰』は、三冊だけ当時の「丸善」に。そのうちの一冊を、森田思軒が。もう一冊を、坪内逍遥が、残る一冊を内田魯庵が買ったんだそうですが。
「彼の浅黒い顔は、いま飲んだシャンパンのためにほんのり赤くなっていた。」
たしかに『罪と罰』には、何度もシャンパンの話が出てきます。
ドストエフスキーが『罪と罰』を書きはじめたのは、1866年のこと。当時は帝政ロシアの時代ですから、フランスふうのシャンパンは人気の飲み物だったのでしょう。
また、『罪と罰』を読んでおりますと。
「赤い裏地のついた兎皮のシューバがあり、その下には絹のワンピース」。
そんな一節が出てきます。「シューバ」はロシアでよくみられる毛皮の外套のこと。もちろん女性用のシューバもあれば、男性用のシューバもあります。
どなたか現代的なシューバを仕立てて頂けませんでしょうか。