ポオは、アメリカの作家ですよね。エドガー・アラン・ポオ。Poe と書いて「ポオ」と訓みます。
エドガー・アラン・ポオが、1841年に発表した『モルグ街の殺人』は、たぶんお読みになっていることでしょう。探偵小説の古典であり、名作でもありますから。
ポオは1809年1月19日。ボストンに生まれています。お父さんは、デイヴィッド。お母さんは、エリザベス。両親ともに、舞台俳優。そのまま進めば、エドガーも俳優になっていたのかも知れませんが。そうはなりませんでした。
エドガーには詩の才能が与えられていたので。ポオは十六歳の頃から、バイロンの詩に夢中に。
1828年、十八歳の時に、『タマレーン、その他の詩』を発表しています。
つまりポオは優れた詩人だったのですね。その一方で、今の推理小説の元祖だと考えられています。
ポオの小説が日本に紹介されたのは、明治十年代のことでしょう。
明治二十年には、饗庭篁村がポオの『黒猫』を翻訳しています。
明治二十年「讀賣新聞」の附録として。十一月三日のことです。ただし、著者、エドガー・アラン・ポオの名前は出ていないのですが。
まあ、当時は版権問題なども今とは異なっていたのでしょう。
饗庭篁村はよほどポオがお気に召したようで、その後も『モルグ街の殺人』なども日本語に直しています。
内田魯庵もまた『黒猫』を翻訳しているのです。明治二十六年に。これはその頃にあった「今日新聞」(都新聞の前身)に、発表。これが好評なので、次つぎと海外の小説が日本語になっています。
ただし著者名は、「アーレン・ポー」になっているのですが。
それはともかく、日本での探偵小説の元祖は、黒岩涙香でしょう。
黒岩涙香は明治二十一年に、『法廷の美人』を訳しています。これをてはじめに、黒岩涙香は多くの探偵小説を翻訳しているのですね。
たとえば、『幽霊搭』。
『幽霊搭』は明治三十二年「萬朝報」八月九日から翌年の三月九日まで連載されたものです。
「有名な幽霊搭が売物に出たな、新聞にも見えている。`」
そんなふうにはじまる物語。
この『幽霊搭』の原作が、『灰色の女』なのです。1898年に、A・M・ウイリアムスンが発表した長篇。この中に。
「叔父を抱きかかえて、隅にあったすべすべした馬巣織りの長椅子に運んだとき、」
そんな文章が出てきます。
ここでの「馬巣織り」は、ホースヘアhosehair のことかと思われます。
ホースヘアは、馬巣のこと。馬の鬣を織り込むので、その名前があります。
たとえば服の芯地だとか。ことに胸の張りを出すために。
また、婦人用のハンドバッグに用いられることもあります。どなたかホースヘアの芯地のスーツを仕立てて頂けませんでしょうか。