探偵小説という読物がありますよね。もっとも今では、「ミステリ」と呼ばれることが多いようですが。
ミステリの前には、「推理小説」とも言われたものです。推理小説の前が「探偵小説」ですから、古いと言われたなら、それまでのことですが。
でも。たとえば、シャーロック・ホームズ物。これは名探偵のシャーロック・ホームズが登場するからこその物語で、ホームズの出ないお話ではお話になりません。古いか新しいかはさておき、「探偵小説」は物事の核心を衝いているようにも思えます。
ミステリでも、推理小説でも、探偵小説でもいいのですが、どうしてそれを、読むのか。一度病みつきになると、なかなかやめることができません。
「ああ、あの仕事をやらなくては…………」と、心では思っていても、つい目は探偵小説に奪われてしまう。困ったものです。
『探偵たちよ スパイたちよ』という本があって。編者は、丸谷才一。丸谷才一はこの本のはじめに、「なぜ読むのだらう?」の題で、随筆を寄せています。つまり人はどうして探偵小説を読むのか、解き明かしているのです。さすが丸谷才一、明快に解いています。そのひとつとして。
「結果的には社会風俗史的な資料となるし………」。
そんな風に書いています。そのひとつの例として。風俗史としては、オスカー・ワイルドよりも、コナン・ドイルのほうが詳しい、ともあります。そう言われてみると、私なんかもそのあたりを言いわけに、探偵小説に逃げこんでいるのでしょう。
これもまた一例ですが。『Xに対する逮捕状』があります。フィリップ・マクドナルドが、1938年に発表した物語。F・マクドナルドの探偵は、ゲスリン。アントニー・ゲスリン。探偵のゲスリンは富豪という設定になっています。語り手の、シェルドン・ギャレットがアメリカ人というのも、面白い趣向です。アメリカ英語とイギリス英語とを、とっちがえたり。このに。
「中から上等な茶色のツイードの服を着た若い男が現れた。」
これはロンドンの新聞記者、ウォルター・フラッドの様子。1937年頃の新聞記者は、ロンドン市内で、茶色の、トゥイードの服を着ることもあった。
もし、これを「社会風俗史的資料」とこじつけるならの話ではありますが。