ニュウヨークとニット・タイ

ニュウヨークはアメリカを代表する街ですよね。
昔の日本では、「紐育」と書いたらしい。もちろん、宛字。音が似ているので、「紐育」が選ばれたのでしょう。
それにしてもなぜ「ニュウヨーク」なのか。英国にすでに「ヨーク」の地名があったから。「新ヨーク」の意味で。
ニュウヨークが栄えた理由のひとつに、港があります。
ニュウヨーク港は、良港だったので。船が集まり、人が集まって、繁華街が生まれたのでしょう。

「紐育の最低賃金(四志十一片)にても、尚ほ日本の八倍以上、」

福澤諭吉が、明治二十六年に発表した『実業論』に、そのような一節が出ています。
これは当時のニュウヨークでの繊維産業での賃金について。
当然、最高賃金も出ていまして。「75シリング」だと、
福澤諭吉は書いています。これは日給としての金額なんですが。
それはともかく福澤諭吉は『実業論』の中で、何度も「紐育」の話を書いています。
明治二十六年頃の日本では、「紐育」はごく一般的な言葉遣いだったのでしょうね。

「朝食はオレンジジュースとコーヒー、トーストしたパンにベーコン&エッグとハッシュド・ポテトで、アメリカの朝めしである。」

常盤新平著『ニューヨークの古本屋』に、そのような一節が出てきます。
これは1978年4月の話として。
常盤新平はロンドンからニュウヨークに来て。
常盤新平が大好きだった「アルゴンクイン・ホテル」で、朝食を食べている場面なんですね。
ニュウヨークが出てくる小説に、『遠い虹』があります。
昭和三十八年に、中里恒子が発表した短篇。

「ニューヨークの避暑地、ロングアイランドの海老料理店で食事していたユージン夫妻に、隣のテーブルから、ひとりの女が話しかけた。それは日本語だった。」

『遠い虹』は国際結婚を描いた物語。ニュウヨークが出てくるのも不思議ではありません。
中里恒子が昭和三十三年に書いた小説に、『天使の季節』があります。この中に。

「編みネクタイの縞が赤とグレイであった。」

そんな一節が出てきます。
ここでの「編みネクタイ」は、ニット・タイかと思われるのですが。
糸で編んだネクタイなので、「ニット・タイ」。
絹のニット・タイもあればウールのニット・タイもあります。どなたかヴァイキューナのニット・タイを編んで頂けませんでしょうか。