ドアとドーメル

ドアは、扉のことですよね。
door と書いて「ドア」と訓みます。
英語のドアは、古代英語の「ドゥール」duru と関係があるんだとか。「門」の意味。
ということは「門」から「扉」へと意味が拡がったものなのでしょうか。
ドアが出てくる歌に、『また逢う日まで』があるのは、ご存じの通り。
1971年のヒット曲。
♪ ふたりでドアをしめて ふたりで名前消して
その時心は何かを話すだろう

阿久悠の作詞。歌は、尾崎紀世彦。
『また逢う日まで』のレコードはおよそ100万枚売上たそうですから、大ヒットというべきでしょう。

「この一九七一年前半期の索引の役を果す歌はなんだろうかというと、それは「また逢う日まで」だろうと思われる。」

井上ひさしは『また逢う日まで』と題する随筆の中に、そのように書いています。
阿久悠と友人だった作曲家に、都倉俊一がいまして。
都倉俊一は、『周囲照らす以心伝心の人』という随筆に、こんなことを書いています。

「送り主は阿久悠、中を開けるとそこには僕の名入りのスコア用紙5千枚入っていた。」

これは都倉俊一が1971年に、学習院大学を卒業した時の話として。
「作曲家としてしっかりやって下さい」の、励ましの意味だったのでしょうね。
ドアが出てくる小説に、『鏡子の家』があります。
三島由起夫が、昭和三十三年に発表した長篇。

「ドアへ背を向けた長椅子を選び、入つて来た良人の跫音を確めてから、ゆつくり立上つて、振向いて迎へやうと思つたのである。」

三島由起夫の『鏡子の家』を読んでおりますと。

「生地はみんな、ジョン・クーパーやドミール・フレヤーの極上物ばかりである。」

これは「収」の持っている服のこと。
ここから私は勝手に「ドーメル」を想像してしまいました。
「ドーメル」Dormeuil は、洋服地の老舗。
1812年に巴里ではじまっています。その後、1866年にロンドンに移って。今もサヴィル・ロオに健在です。
ドーメルは老舗であるにも関わらず進歩的でもあって。ある時、孔雀の羽根を織り込んだ布地を売り出したことがあります。
三島由起夫は以前、銀座の「メンズウエア」で洋服を仕立てていましたから、ドーメルの名前も記憶していたのでしょうね。
どなたかドーメルの生地でスーツを仕立てて頂けませんでしょうか。