ココとマッキノー

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ココで、モードで、といえば、ココ・シャネルでしょうね。「ココ」はもちろん、愛称。本名は、ガブリエル・シャネル。
ココ・シャネルがパリ、カンボン通りで小さな帽子店を開いたのは、1910年のことなんだそうです。1912年には、ドーヴィルに支店を出してもいます。
そのシャネルがミシアと出会うのが、1917年のこと。ゴドブスカ・ミシア Misia は、ポーランド系のユダヤ人。フォーレについてピアノを習い、後にシャンソン歌手となった人物。若い頃は、ロオトレックのモデルをつとめたことがあるという。
ミシアはもちろんのこと、シャネルは優れた友人に恵まれていました。その友人のひとりに、ポール・モーランがいます。ポール・モーランは、フランスの外交官で小説家でもあった人物。1970年には、「アカデミー・フランセーズ」の会員となっています。1970年代にポール・モーランは、『シャネル』を書いていて。『シャネル』は、1921年12月24日頃の記憶からはじまる。

「 「ココ・シャネルの家にみんな招待されているのよ」とミシアがさそってきた。」

ポール・モーランがシャネルの家に行くと。エリック・サティ、ピカソ、ブラック、ジャン・コクトー、レイモン・ラディゲ………などが顔を揃えていたという。
シャネルのゆったりとしたベレーが世間の話題になるのが、1913年のこと。1913年2月27日。NY、ブルックリンに生まれたのが、アーウイン・ショオ。アーウイン・ショオが1975に発表した長篇が、『真夜中の滑降』。この中に。

「カーキー色の厚地のマッキノー・コートを着て、赤いハンチングをかぶった………」
これはとあるバアに居合わせた客の着こなし。なんだかNYらしい雰囲気ですね。

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