神童とシルク

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神童ということはあるんですよね。
たとえば、モオツアルト。ヴォルフガング・アマデウス・モオツアルトは、3歳でチェンバロを弾いたんだとか。また、5歳で作曲。しかも今なおモオツアルトの音楽が広く愛されているのですから、驚くほかありませんね。
モオツアルトをはじめとして、音楽家には神童が珍しくはないみたいで。ひとつの例を挙げますと、プロコフィエフ。1891年、ロシアに生まれた、セルゲイ・プロコフィエフ。プロコフィエフもまた、早熟だったみたいですよ。やはり3歳でピアノを弾いています。これはお母さんが教えたんだそうです。5歳でピアノ曲、『インドのギャロップ』を作曲。
8歳で、オペラの『巨人』を作曲。これはお母さんに連れられて、一緒に観た『眠れる森の美女』に感動して、仕上げたと、伝えられています。そうなると、プロコフィエフの場合は、お母さんの影響がかなり神童ぶりにあらわれているのかも知れませんが。
プロコフィエフは、1918年にアメリカへ。これはロシア革命を避けるために。ロシアから日本を経てアメリカへ。この途中、ちょっとした手違いから、長く日本に滞在もしています。
1921年の夏。パリで完成したのが、『ピアノ協奏曲第三番 ハ長調』。
『ピアノ協奏曲第三番 ハ長調』は、1929年のパリでも演奏されています。
1929年。英国、ニューキャッスル・アポン・タインに生まれたのが、ジャック・ヒギンズ。ジャック・ヒギンズが1992年に発表のが、『嵐の眼』。この中に。

「イタリア製の黒いシルクのシャツに黒いセーター、最新流行に合わせて裁断されたグレイのスラックスをはいた、年齢不詳の男が………」。

これは、元IRAの指導者、リーアム・デヴリンの着こなし。
うーん。シルクのシャツも悪くないですよね。

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