シムノンとベレー

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シムノンでミステリでといえば、ジョルジュ・シムノンでしょうか。フランスのミステリ作家としては、もっとも多作だったのではないでしょうか。
イギリスでは、ご存じ、アガサ・クリスティーが、多くのミステリを書いているように。アガサ・クリスティーにあった日本人がいるように、ジョルジュ・シムノンに会った日本人も、います。木々高太郎。木々高太郎はミステリを書く時の筆名で、本名は、林 髞。髞の名前を分解して、木々高太郎を創ったのでしょう。本業は、医者。慶應大学医学部教授でもありました。医者であり、作家であった人物。若い時から晩年まで、そのふたつを両立させたお方でもあります。
その林 髞が1956年の6月に。ヨーロッパでの学会に出席ことに。で、ジョルジュ・シムノンに会うことに。
その頃、「日本探偵作家クラブ」というのが、盛んだった。「日本探偵作家クラブ」では会員のための、指環を作った。それはゴールドの台にオニキスの彫刻があって。それがエドガー・アラン・ポオの顔になっているデザインのものだったのです。当時の値段で、ひとつが8,000円だったという。笹沢左保も好んで、愛用したものです。
その「日本探偵作家クラブ」の指環を、ジョルジュ・シムノンにも進呈しよう、という目的があったのです。
木々高太郎は、シムノンに会った。カンヌの丘に聳える白亜の殿堂。とにかく七階建てというのですから、「白亜の殿堂」も大げさではないでしょうね。
木々高太郎は、シムノンに大いに歓迎されたという。食事の後。豪華なヨットでひと晩語り明かしたという。
帰国した木々高太郎は、江戸川乱歩に、言った。
「シムノンは君に似ていたよ」。「ことにハシゴ好きのところが…………」。
木々高太郎はシムノンに世話になったので、日本に招待。
乱歩はシムノンを泊めるために、すっかり洋風に改装。後年の乱歩邸が洋風だったのは、そんなわけなのです。
晩年の江戸川乱歩が愛用したものに、黒いベレーが。ベレーは一度かぶり慣れると、下の服装を問わないところがあります。また、丸めてポケットに入れておくことも。あれでなかなか便利な帽子なのです。
リネンで編んだベレーなんかがあるといいですね。

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