たをりとタキシード

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たをりというお方がいらっしゃるんだそうですね。
渡辺たをり。ひと言で申しますと、谷崎潤一郎のお孫さんにあたるお方。随筆家『花は桜 魚は鯛』などの著作があります。文章がお上手で。こういうのを、「蛙の孫は蛙」というのかも知れませんが。『花は桜 魚は鯛』にはやはり美食の話が多い。たとえば。

「トアロードの「デリカテッセン」「ハイウェイ」「フロインドリーフ」「ドンク」「青辰」「ぼたん苑」「アカデミー」「マルジュウ ( ㊉ ) 」 「 三ツ輪」…………」

昭和三十年代の、谷崎家が、神戸で贔屓にした店の一例が紹介されています。たとえば「青辰」は穴子鮨で知られた店。いわゆる箱鮨。そのひとつにちらし鮨があって。このちらし鮨はすぐに食べる客にだけ売ったんだそうですね。
谷崎潤一郎は永く関西に住んでいます。が、生まれは東京、日本橋。江戸っ子。最期まで江戸好みだったそうです。たくわんは筒切りにして。今はどうか知りませんが、昔、関西でのたくわんは、拍子に切った。谷崎は、拍子に切ったたくわんは食べられなかった。
すき焼きも同じことで。まず最初、谷崎用に、関東風のすき焼きを。それが終わってから、家族用に、関西風のしたという。関西に生まれ育った私にもよく分かる話なんですが。
昭和元年頃。大阪に住んでいる谷崎潤一郎のところに、芥川龍之介が遊びに来た。食事が終わって後。谷崎と芥川はふたりで、キャバレエへ。この時の服装、タキシードだった。芥川のドレス・シャツの飾りボタンを、谷崎が留めたんだそうです。
谷崎潤一郎はタキシードを着るとき、ウイング・カラーのシャツを好んだという。

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