フーガとフラノ

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フーガという形式の音楽があるんだそうですね。「主題部」と「展開部」とがあったとして。これがたがいに追いついたり、追い越したり。なんだか追いかけっこしているみたいなので、フーガ。
「フーガ」 fuga はもともとイタリアで、「逃げる」の意味があるんだとか。それで時に、「遁走曲」とも呼ばれるのでしょうね。
フーガをはやい時代から得意としたのが、バッハ。ヨハン・セバスティアン・バッハ。バッハは数多くのフーガを作曲しています。
ヨハン・セバスティアン・バッハは、1685年3月31日に生まれています。ドイツ、チューリンゲンに近い、アイゼナハで。ところがこの地方には、「バッハ」の姓が多い。しかも、その多くが、音楽家。バッハ研究家でさえ、同名異人の「バッハ」と混同することがあるほどに。
ひとつの説として。「バッハ」 Bach の語源を辿ってゆくと、古いゲルマン語の「バング」 bhag と関係があるのではないか、と。それは、「流す」の意味で。つまり、それぞれのとちを歩いて、歌を聴かせる商売。そこから「バッハ」 Bach の姓名が生まれたのだと。もしもそうであるなら、バッハ一族に音楽家が多いのも、それほど不思議ではないのかも知れませんが。
バッハは、若い頃から、教会のオルガン弾きとして、その存在が知られていたようですね。たとえば、1703年には「アルシュタット教会」のオルガ二ストに任命されています。8月9日のことです。
そもそも「アルシュタット教会」のオルガンが完成したのが、ほぼ同じ頃。そのできたばかりのオルガンを、バッハが試しに弾いて、良しとされたのです。この教会は今では、「バッハ教会」と呼ばれているそうですね。
それはともかく、1703年の「アルシュタット教会」でのバッハの年俸、84グルデン6グロッシュだったと記録されています。これは当時としてはそうとうに高額の報酬だったという。このための主な財源は、ビール税だった。つまり人びとがビールを飲めば飲むほど、バッハのオルガンは気持よく鳴り響いたわけです。
バッハのフーガから生まれた小説に、『美しい村』があります。堀 辰雄が、昭和九年に発表した物語。その頃、堀 辰雄が軽井沢を歩いていると。チェコスロヴァキア公使館から、バッハのフーガが聴こえてきて。それを聴いた瞬間に、『美しい村』の想を得たという。『美しい村』の中に。

「そしてフラノの散歩服に着換えながら、早朝の戸外へと出て行った。」

もちろん、堀 辰雄の分身でありましょう。「フラノの散歩服」。いいですねえ。色は、どんな色だったのでしょうね。

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